【横浜大空襲73年】語り継ぐ 平和への祈り 高齢化する体験者たち

 米軍のB29爆撃機などによる無差別爆撃で横浜中心部が焦土と化した横浜大空襲から29日で73年。体験者が高齢化し、犠牲者の冥福を祈る施設へ足を運ぶ市民が減っている。それでも悲劇を繰り返さぬとの思いを込め、遺族らは力の限り次世代に語り継ぐ。

 県のまとめによると、死者は3650人、負傷者は1万198人に上る。関係者によると、死者は8千人以上とも推測されている。

 ただ、体験者の多くが鬼籍に入り、横浜市中区の大通り公園にある平和祈念碑を訪れる遺族や市民は年々減少している。

 横浜戦災遺族会の岡野利男さん(89)=同区=は毎年この日、祈念碑で地元の児童や生徒らに体験談を語ってきた。碑内部の御影石には49歳で亡くなった父勇さんの名前が刻まれている。ただ、岡部さん自身が体調を崩すことが多くなった。指で父の刻銘をなぞりながら「来年はここに来られるか分からないね」とつぶやいた。

 それでも悲劇を繰り返すまいと力を振り絞る。「この犠牲者が礎になって、今の横浜があることを忘れないで」。29日、岡部さんの話を熱心に聞いていた市立南吉田小学校3年の女子児童(8)は、犠牲者に赤ちゃんや子どもが多いことに衝撃を受けた。「なぜ戦争が起きたのか。戦争は絶対にいけない」と話し、唇をかみしめた。

◆「戦争忘れぬ」各地で祈念や供養

 横浜大空襲の経験を次世代に伝えようと「『5・29』横浜大空襲祈念のつどい」が29日、横浜にぎわい座(横浜市中区)で開かれた。約80人が体験談に聞き入り、平和を守り続けると誓った。横浜の空襲を記録する会の主催。

 冒頭、犠牲者に1分間の黙とう。海軍職員だった岩井昭さん(91)=同市栄区=は空襲の翌日に京急線黄金町駅付近を通った際、遺体を大きなスコップで放り投げる様子を目撃。「地獄の光景だった」と語った。

 参加者の一人で7歳の時に被災した柳下寿雄さん(80)=茅ケ崎市=は「防空壕(ごう)や防空ずきんなどを若い人に説明してもなかなか通じない。戦争を理解してもらうためには用語から丁寧に説明していかなければならない」と継承の難しさを指摘した。

 普門院(横浜市南区)では、同駅近くで重なり合って焼死した大勢の犠牲者を供養する「黄金地蔵尊」で法要が営まれ、住民ら15人が参列した。

 住職の森芳圓さん(76)は当時3歳。厚木市内に疎開していたため難を逃れたが、住職だった父親を失った。「供養に来てくれる人が少なくなった。悲惨な戦争があったことは忘れてはいけない」と話し、供養を継続していくとした。

横浜大空襲の犠牲者を悼む平和祈念碑の碑文を見入る児童ら=大通り公園

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