【片言隻句】一条の光明

 「新聞をどう読んだらいいのかわからない」―こんな声を、入社したての若い世代の方々から聞くことが多くなった。新聞をあまり読まないで育ってきた世代。「日本語なのだから、どう読んだらもないだろう」と思っていると「どこから読んでいいか分からない」と話は続く。

 検索するためのキーワードがいまひとつつかめず「自ら課題を検索する」という忍耐強い作業にもあまり慣れていない。その大切な「力」を鍛錬する機会を減らしているのが「電子辞書」ではないかと、ひそかに思っている。

 ある単語を入れると、コンピュータが勝手に結果を表示してくれる便利な辞書。学校教育では、その辞書を推奨するような風潮もある。

 確かに効率的に見えるが、反面、自ら検索するという意識を希薄にし、類似の単語などに遭遇するチャンスを減らしているとは言えないか。それが、ニュースを検索するという側面にも表れているのではないか。

 自らのキーワードを設定し、日々検索能力を磨く。出会ったときの嬉しさは、即メモ帳に手が行くという態度に表れる。それを繰り返すと、無味乾燥に見えた情報媒体が有意義に感じられる。新聞も、それに耐えられる「情報提供力」を持たねばならないのは勿論だが。今、新聞にその十分な力はあるか。

 テキストのない実践的なビジネス最前線。顧客に、先輩に、そして自分自身に体当たりしていく以外に成長のきっかけはつかみにくい。電子辞書を引いて自動的に答えが出るほど、現実は簡単ではないはず。

 真っ暗なその道をなるべく迷わずに行く。その際の一条の光明に、新聞がなれれば、と願っている。

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