生後間もない息子を連れて車を待ち続けた母

2階から転落した3歳のアイマン君をハイダン病院へ連れてくるため、両親は1万イエメン・リアル(約4万円)を借金した。

2階から転落した3歳のアイマン君をハイダン病院へ連れてくるため、両親は1万イエメン・リアル(約4万円)を借金した。

腕で顔の半分を覆い、救急処置室のベッドに男性が横たわっている。爆発物の破片で、脚と腹部にひどい傷を負っている。ここは、イエメン北部で国境なき医師団(MSF)が活動するハイダン病院。モハマドさんは、金曜の祈りのためモスクに向かう途中、北部におけるフーシ派の拠点マランの近くで被害に遭った。陸路で1時間半離れた他の病院で手術を受けるため、処置室で移送用の救急車をじっと待っている。

「道を歩いていて、ほんの1分で……気が付いたらこの病院にいました。爆弾だったのか、ロケットだったのか、見当もつきません」。モハマドさんは爆発の衝撃で気を失い、通りかかった人びとに助けられ、車でハイダン病院に運ばれた。この病院では、MSFが戦闘で負傷した人の容体を安定化させ、サアダ市内の病院へ移送している。

絶え間ない空爆にさらされて

2016年、サウジアラビアとアラブ首長国連邦が主導する連合軍に爆撃されたハイダンの学校

2016年、サウジアラビアとアラブ首長国連邦が主導する連合軍に爆撃されたハイダンの学校

2017年12月以降、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)が主導する多国籍有志連合軍がイエメン北西部の反政府勢力「フーシ派」への攻勢を強め、住民はかつてないほどの空爆にさらされた。戦線からわずか数キロのサアダ県ハイダン村は山岳地帯にある。医療施設はほぼ皆無。絶え間ない空爆もあって、この地域を移動するのはひどく難しい。

ハイダンの自宅を爆撃された兄弟が、玄関でたたずむ。

ハイダンの自宅を爆撃された兄弟が、玄関でたたずむ。

被害に遭ったモハマドさんは戦闘員ではなく、以前は裁判所の書記官だった。サアダ県の戦闘を避け、首都サヌアで家族と暮らしている。サアダ県を訪れたのは給与を受け取るためだ。モハマドさんをはじめ、125万人のイエメン政府職員の給与は2016年9月以降、支払われていない。

MSFが活動するハイダン病院の救急処置室で、治療を待つ女の子。この病院は2015年10月に爆撃を受け破壊された。

MSFが活動するハイダン病院の救急処置室で、治療を待つ女の子。この病院は2015年10月に爆撃を受け破壊された。

モハメドさんが治療を受けるハイダン病院は、2015年10月、サウジアラビア機による爆撃で破壊された。ここにMSFが戻ったのは、2017年3月。孤立状態になっていたハイダンと周辺部の住民に、医療を提供している。3年余りに及ぶ紛争で、人びとは苦境に耐え忍んできた。

戦線付近は搬送が難しいため、戦闘で負傷した人がハイダン病院へ来るのは時間がかかり、結果として、危篤状態に陥ることも多い。MSFはそうした患者をサアダ市内の複数病院に引き継いでいる。MSFのプロジェクト・コーディネーターを務めるフレデリック・ボノは「最もよく目にするのは銃撃の傷と、爆撃の破片による傷です」と説明する。

軍事施設でなくても狙われる

2016年に爆撃されたハイダンの学校。建物は崩壊しがれきが残る。

2016年に爆撃されたハイダンの学校。建物は崩壊しがれきが残る。

激しい衝突が起きた2015年3月以前から、サアダ県民はイエメン国内でも特に危険にさらされてきた。2004年から2010年にかけて、フーシ派と当時のアリー・アブドゥッラー・サレハ大統領政権下の軍との度重なる戦闘でも、サアダ県は激しい衝突の舞台となった。そのサレハ元大統領は2017年12月に暗殺されている。サアダ県で5歳未満児に極度の成長障害が見られていたのも2015年以前からのことだ(※2018年1月エピセンター、『MSFイエメン栄養状況分析』)。

サアダ県では、サウジとUAEの主導する連合軍の空爆が2017年末から激化した。空爆作戦に先立ち、2017年11月にフーシ派のミサイルがサウジアラビアの首都リヤドに向けて発射されている。「ミサイル1発がサウジアラビアのどこかに放たれると、サウジ側は即座にサアダの爆撃で応酬したのです」とボノは語る。

主要な道路は攻撃され、患者を病院へ搬送することもままならない。

主要な道路は攻撃され、患者を病院へ搬送することもままならない。

イエメン内戦のさまざまなデータを収集し発信しているイエメン・データ・プロジェクトが同年12月に記録した541件の空爆のうち、3分の1がサアダ県に降り注いだ。イエメン・データ・プロジェクトによると、2017年1月以降に記録された1ヵ月の爆撃件数としては最も多く、前月比で67%増だという。2015年5月8日に連合軍がサアダ県下の全ての町を軍事目標と宣言して以来、3年の間に実行した空爆は1万6749件。1日平均15件に相当する。このうち3分の1が非軍事施設を襲ったものだ。

2018年3月は、フーシ派と、連合軍の支援を受けるハディ大統領支持勢力との地上戦がサアダ県境のほぼ全域で日常的に発生していた。とりわけ影響が深刻だったのは東のキタフ、北のバキム、西のラゼーだ。

サウジの爆撃は、軍事基地とフーシ派の検問所だけでなく、公共インフラ、市場、家屋、民間人の乗り物にも着弾した。2018年3月29日には、サアダのMSFオフィスから200メートルも離れていない場所で、トラック1台が連合軍の空爆2発の標的となった。

2018年2月、食料を積んだトラックも爆撃を受けた。

2018年2月、食料を積んだトラックも爆撃を受けた。

戦略的価値のある道路は、決まって狙われる。ボノは説明する。「MSFはハイダンからサアダ市へ行くのに、サアカイン地区を貫く道路を使っていたのですが、その道は2018年の年明けからたびたび標的になっています。MSFが支援する診療所があるヤスニムでも、状況は同じです。サアダ市内の病院に患者を移送する手段に支障が生じていて、搬送が遅れることはつまり、生死に関わるということです」

病院へ行く手段が見つからない

呼吸器の問題でハイダン病院の救急処置室に搬送された生後数週間の赤ちゃん

呼吸器の問題でハイダン病院の救急処置室に搬送された生後数週間の赤ちゃん

19歳のクーソルさんは、路肩で1時間半待って、自分と息子をハイダン病院へ送ってくれる車を捕まえた。息子のナビルちゃんは生後わずか6週間で、ここ数日、呼吸がすぐれない。家は山の向こうのマランで、そう遠くないものの、連日続く爆撃で地域には交通手段がほとんどなく、動いている交通機関も運賃が高い。「マランの人たちは移動にとても苦労しています。爆撃が激しくて乗り物が見つからなかったり、運賃を払えなかったりするから」とクーソルさんは話す。

ハイダン病院で診療を待つ患者たち

ハイダン病院で診療を待つ患者たち

治療が必要なイエメン人にとって、交通費は依然として大きな壁だ。ボノは説明する。「市場の立つ水曜と土曜には、ハイダン病院に来る人が増えます。いつもより遠くの山間部からも交通手段が使えるので、医療の必要な人たちがその機会を利用するんです」

ハイダン病院は戦闘の前線からわずか数キロの山岳地帯にあり、負傷者や地域住民を受け入れている。

ハイダン病院は戦闘の前線からわずか数キロの山岳地帯にあり、負傷者や地域住民を受け入れている。

2017年は、約7000人がハイダン病院の救急処置室で治療を受けた。このうち44%が5歳未満児で、41%が女性。子どもの入院の理由は主に呼吸器感染症と下痢と貧血。1日平均50~60件の診療が行われている。がんや心臓病の患者もいるが、長期的な治療を行える施設がないため、引き継ぎ先がない。

ハイダン病院の救急処置室。2017年は約7000人が治療を受けた。

ハイダン病院の救急処置室。2017年は約7000人が治療を受けた。

病院に着くと、ナビルちゃんは1週間の入院が必要になった。毛布にくるまれたナビルちゃんは酸素吸入を受け、左手には点滴の針が刺さっている。クーソルさんら家族にとって、容体が急激に悪化したナビルちゃんをハイダンへ連れて来る以外に選択肢はなかった。ここへ来るために交渉して支払った金額は1000イエメン・リアル(約4400円)。場所、交通手段確保の難しさ、燃料費によっては、運賃が1万5000イエメン・リアル(約6万6000円)に達することもある。

苦しい生活が人びとの心も押しつぶす

イエメン北部ではガソリン代も高騰している。バイクは大事な移動手段のひとつだ。

イエメン北部ではガソリン代も高騰している。バイクは大事な移動手段のひとつだ。

交通費だけでなく、内戦は物価にも影響している。特に原料価格が2015年以降に急騰し、人びとの生活がますます困難なっている。ガスとガソリンの価格は過去3年で2倍になり、小麦も50%余り値上がりした。

世界食糧計画(WFP)によると、2018年1月と2月にイエメンの輸入は増加したものの、必須食品と燃料の輸入は3月になっても不足が続いた。理由は、アデンやその他の南部の港から持ち込まれた物品がサヌアで課税されていること、値上げのために商品を備蓄する取引慣行や、紛争による移動制限と不正取引など複数ある。こうした状況が、イエメンの人びとの生活に重くのしかかっている。

家を爆撃された男性は、山腹に作られた洞窟のシェルターでしのいでいる。

家を爆撃された男性は、山腹に作られた洞窟のシェルターでしのいでいる。

ナビルちゃんの母、クーソルさんは内戦以外のことをほとんど知らない。生まれ育った町マランは2004年から2010年まで続いたサアダの戦いで激しい武力衝突にさらされ、空爆の際に避難できるよう地下シェルターが建設された。山腹にトンネルが掘られ、高さ1メートルもない洞窟へとつながる。洞窟では「立ち上がることもできません」とクーソルさんは言う。

洞窟の避難施設は今も、爆撃が激しく自宅では安心できない時に住民が利用している。クーソルさんも親類とともに洞窟で2日過ごし、何とか持ち出したパンを分け合った。

サアダの町のいたるところに、爆撃で破壊された建物や道路が残る。

サアダの町のいたるところに、爆撃で破壊された建物や道路が残る。

「サウジの攻撃で家を出られず、ひどい生活です。買い物にも出られないし、何もかもが高額です」。そう語るのは、同じくマランで暮らす20歳のアブドゥッラーさんだ。「子どもたちは学校に行けず、いつも怖がっていて心が休まりません。子どもたちがきちんと教育を受けられるのか心配です。主要な道路も、家も、すべて爆撃されてしまいました」

この日、アブドゥッラーさんは10日前に出産したばかりの女性に連れ添ってハイダン病院に来ていた。「10日間、山の洞窟で一緒に隠れていました。お金がなく爆撃の危険もあって、病院に連れてくるのが今になってしまったんです。外に出られるのは早朝だけ。その後は軍の飛行機が空を舞っています」

https://www.facebook.com/msf.japan/videos/1816757665011545/

家も道路もボロボロに壊れ、山のほら穴で爆撃機をやり過ごすーー。 イエメン北部のサアダ県は、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)が率いる連合軍の攻撃の標的となり、学校や、国境なき医師団(MSF)の病院も破壊されました。村から村への移動も難しい山岳地帯で、人びとは外に出ることさえままならない状態です。 MSFは、爆撃の恐怖に怯えながら病院へやってくる人びとの治療を続けています。

国境なき医師団 日本さんの投稿 2018年5月28日(月)

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