かつて柴崎岳や宇佐美貴史らと共に日の丸を背負い、プレーした男はカンボジアにいた!?

 今回は東南アジアを舞台にプロサッカー選手として活躍。現在はカンボジア1部リーグでプレーする藤原賢土選手にお話を聞かせて頂きました。インタビュアーとコラムの執筆は、モンゴル1部リーグで活躍中の日髙裕貴選手です。

経歴

藤原賢土(ふじはら けんと)

U-16からU-19まで日本代表として活躍し柴崎岳や宇佐美貴史らとプレーした。

第88回選手権大会ではチームを全国ベスト8まで導いた。

関西大学卒業後は、アルビレックス新潟シンガポールへ入団し2年目にはクラブ初のSリーグ制覇に貢献した。翌年は、カンボジアの強豪クラブナガワールドFCに移籍すると技巧派CBとしてチームを支えオールスターにも選出された。

現在は本田圭佑氏が手掛けるソルティーロFCのキャプテンとして海外5シーズン目を迎える。

大学卒業後シンガポールリーグでプロサッカー選手に

 高校在学時にU-16日本代表に選出され、関西大学時も天皇杯や総理大臣杯に出場するなど、エリート街道を通って来た藤原。かつての仲間達は高校や大学卒業後にJリーグでプレーしている。しかし、現在Jリーグでプレーする選手の中に「藤原賢土」という名前は記されていない。彼は現在カンボジアリーグでプロサッカー選手としてプレーしているのだ。彼の元にJリーグからオファーが届く事は無かったのだ。 「大学在学中にJリーグの数クラブに練習参加に行っていましたが、オファーが来ることはありませんでした。大学を卒業するタイミングでオファーが無ければサッカーを辞めようと考えていましたが、アルビレックス新潟シンガポールからオファーを頂き入団が決まりました」 藤原のプロキャリアはシンガポールでスタートする事になった。

 当時のアルビレックス新潟シンガポールはシンガポールリーグに所属するも全員が日本人という特殊なチームながら結果を残せずに居た。藤原は1年からスタメンに定着すると2年目には、2つのカップ戦のタイトルを獲得、3年目にはリーグ優勝を含め4冠を達成しシンガポールリーグにその名を刻んだ。

カンボジア強豪クラブへ移籍!1年目ながらオールスターに出場

 シンガポールで3年間を過ごしSリーグ初の4冠の立役者となったの藤原の元に届いたのはカンボジア強豪クラブであるナガワールドからのオファーだった。

 「カンボジアにプロリーグが存在するの?」と思われる方も多いかも知れないが、今シーズン18名もの日本人選手がプレーしている。Jリーグを経由しカンボジアで活躍している選手も多く在籍している。昨年はJ3藤枝MYFCにJリーグ初のカンボジア人選手として、ワタナカがプレーしたのは記憶に新しいのではないだろうか。

 「正直言ってカンボジアのレベルが高いかと言われれば、高くはないです。しかし、技術のある選手やまじめな選手が多く可能性は非常に感じています。カンボジア全体が日本に対して好印象を持っているため、日本人に対してリスペクトしていると日常生活でも感じることがあります」と藤原はカンボジアリーグについて語る。

 カンボジアリーグで活躍した藤原は1年目ながら、オールスターにも選出され約5万人の大歓声の中で、へベルチ(元セレッソ大阪)らを擁するタイリーグ王者ムアントンユナイテッドと戦った。

異国の地でキャプテンとしてチームを支える存在に!

 カンボジア2シーズン目を迎える藤原はカンボジア国内での移籍を決断する事に。本田圭佑氏が実質的なオーナーを務めるソルティーロ・アンコールFCからオファーが届いた。ソルティーロ・アンコールFCは、今シーズン1部リーグへ昇格したチームである。シェムリアップを活動の拠点とし監督やフロントや外国人選手は、日本人中心でクラブ運営を行っている。またプロとして5シーズン目を迎える藤原は主将として今シーズンよりチームを引っ張る。

 「東南アジアでプレーする上で大切な事は、自分の信念を持ちつつもその国に合わせることが大切だと思いますし、ローカルの選手やカンボジアという国をリスペクトしてプレーする事が重要だと思います」と藤原が語る。

 最後に 「これからサッカー選手として自身のステップアップを一番に考えていますが、カンボジアに来てサッカーを通じて何か自分に出来ることがあるのではないだろうかと考えています」かつて日の丸を背負った男はこれからも東南アジアの地で輝きを放ち続けるだろう。

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