大会別!かっこいい代表ユニフォームベスト5(1998年フランスW杯)

日本のユニフォーム好きならおそらく誰もが一度はお世話になったであろうサッカーユニフォームサイト『Football Shirts Voltage.com(サッカー各国代表&クラブユニフォーム)』を運営する小野有紀(yuukiono99)氏が、ワールドカップ大会別のベスト5ユニフォームを選出する企画。

第2回は、日本が悲願の初出場を果たした1998年のフランス大会!(※第1回はこちら

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5位 日本(asics ホーム)

我が日本代表の記念すべき世界デビューモデル。我々ユニマニアが勝手に名付けたいわゆる「炎Ⅱモデル」である(笑)。

当時3つのメーカーが、同じデザインのモデルを各年代持ち回りで供給するという世界でも珍しいシステムを取っていたが、ジョホールバルの歓喜を拝したadidasに対し、本大会出場の栄誉に浴したのはasicsであった。

そして日本メーカーのワールドカップ出場は後にも先にも、ただこの一度となるのである。ちなみに貧乏クジを引いたPUMAは96年アジアカップモデルや、96年女子代表アトランタ五輪モデルを供給していた。

袖に配された炎のモチーフは西洋の人たちの目にはどのように映ったのだろうか?

当時はまだユニフォーム製作のコンセプトワークなど為されていない時代ではあったが、「忍者」や「侍」に繋がるような「東洋の神秘さ」が連想されるモチーフではある。ちなみに川口能活が纏ったGKモデルは、黒地にオレンジの炎が身頃全体を覆うという、さらに迫力あるデザインであった。

4位 ジャマイカ(Kappa ホーム)

ワールドカップ出場は唯一このフランス大会のみ。突然変異的な強さを見せたチームが着用したこのモデルも、同代表史上で異彩を放つデザインである。

国旗の3色でフリーハンド風に描かれた模様はKappaオリジナルのもの。民族調にもレゲエ調にも見えるこのモチーフは、ボブ・マーリィを産んだこの国の自由闊達な雰囲気を表しているとも言えよう。

このモデルのデビューとなったゴールドカップ1998ではベスト4へ進出し、ブラジルと互角の戦いを演じた。W杯本大会では日本代表に競り勝って初勝利を挙げるなどプレミアリーグ中堅チームのレギュラークラスを揃えたこのチームは力強さがあった。

しかし、1998年以降世界中を席巻したウサイン・ボルトら陸上代表の活躍と反比例するように国際舞台から消えていったサッカー代表にとって、このモデルは一瞬の輝きを放ったものであったことは間違いないであろう。

3位 フランス(adidas ホーム)

2011年にNIKEに変更されて以降はすっかりシックに様変わりしたが、adidas時代のフランス代表は、古き良き時代ともいうべきはっきりとしたトリコロールの配色が懐かしくもある。

プラティニがヨーロッパ選手権を制した84年モデルをオマージュしたデザインのこのモデルを着用し、ジダンを擁して見事初優勝を飾ることになる。

ルーツの異なる選手たちで構成された代表に対し、大会序盤は冷めた目を向けていた国民も、自分たちのチームが勝ち進むにつれ一致団結していく。決勝のブラジル戦を前に、スタジアム全体が高らかに唄いあげる「ラ・マルセイエーズ」は、まさに鳥肌ものであった。

そのスタンドで選手たちを見守る84年の殊勲者プラティニもまた、ジャケットの下にこのモデルを着ていたのである。

2位 メキシコ(ABA ホーム)

フットボールキット史に燦然と輝くワイルドデザインモデル。15世紀、アステカ文明下で作られたとされる「太陽の暦石」をモチーフとしている。

中央で睨みを効かせている「太陽神トナティウ」は好戦的な戦神の側面も併せ持つと言われる。エンブレムの鷲は「サボテンが茂る湖の中の島の鷲が止まった場所に都を作れ」という神のお告げに従って帝都ティノチティトラン(現在のメキシコシティ)を造ったという神話に由来する。メキシコという国名自体も、アステカ人の自称「メシカ(メシトリ神を崇める者)」から来ており、アステカ帝国の正当継承者としての自負を表している。

中世からのメキシコの歴史と誇りを込めたこのモデルは、ゴールドカップ1996で投入され、マイナーチェンジを繰り返しながら、ワールドカップ本大会でも着用された。

よほど愛されたデザインであったのだろう。94年までサーフブランド調の派手なユニフォームを好んで着用していたあのカンポスも、この大会ではフィールドプレーヤーと反対色の同デザインのモデルを着用していたくらいである。

1位 クロアチア(lotto ホーム)

なんと日本代表が組み込まれたH組から3ヶ国をチョイスする結果となった。そしてlottoは2大会連続1位の栄誉となる。

クロアチア代表の「シャホヴニツァ」モデルは、ユーロ96予選から本格的に国際舞台に復活してわずか3モデル目にして秀逸なバリエーションデザインを放ってきた。右肩から左腰にかけて、風になびくように入ったチェックはこの大会におけるチームの躍進を予感させるものだったのかもしれない。

グループリーグ3試合をこのホームモデルで突破した後、決勝トーナメントに入ると一転して青の身頃の脇にシャホヴニツァを配したアウェイモデルを投入。ルーマニア、ドイツ、オランダといった強豪国をなぎ倒し、ワールドカップ初出場にして3位の快挙を成し遂げるのである。

メーカーシェア

1998フランスW杯出場32ヶ国のメーカーシェア

adidas(6)
ドイツ・フランス・スペイン・ルーマニア・ユーゴスラビア・アルゼンチン

NIKE(6)
イタリア・オランダ・ブラジル・韓国・ナイジェリア・アメリカ

PUMA(5)
ブルガリア・オーストリア・イラン・カメルーン・モロッコ

UMBRO(3)
イングランド・スコットランド・ノルウェー

Reebok(3)
コロンビア・パラグアイ・チリ

lotto(2)
クロアチア・チュニジア

KAPPA(2)
南アフリカ・ジャマイカ

DIADORA(1)
ベルギー

hummel(1)
デンマーク

asics(1)
日本

ABA SPORT(1)
メキシコ

Shamel(1)
サウジアラビア

※第3回の「2002年日韓W杯編」は、6月5日に公開!

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