雲仙・普賢岳大火砕流27年 犠牲者思い継承誓う

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 雲仙・普賢岳噴火災害で消防団員やタクシー運転手、報道関係者ら43人が犠牲になった1991年の大火砕流から27年となった3日、被災した島原市は追悼の「いのりの日」となった。遺族や市民らは、鎮魂の思いを胸に手を合わせ、記憶の継承を誓った。
 安中地区の被災住民が集団移転した仁田町の仁田団地第一公園にある追悼碑前には、市が献花台を設置。自らも28年間消防団員だった古川隆三郎市長は花を手向け「時の経過とともに少しずつ雲仙・普賢岳災害の教訓や関心が薄れつつある。災害はいつ何時起こるか分からない。われわれは後世に教訓を伝えてゆく責任がある」と声に力を込めた。
 市消防団員らは、平成町の殉職者慰霊碑に花を手向けた。団員629人中、当時を知る団員は3人だけ。本田庄一郎団長は「今も鮮明に残る惨事の記憶を、若い団員にどう伝えていくかが課題だ」と語った。
 大火砕流が発生した午後4時8分。市内全域にサイレンが鳴り響き、市民らが黙とうをささげた。消防団員の詰め所だった北上木場町の北上木場農業研修所跡では慰霊の鐘も鳴らされ、普賢岳に向かい遺族らが静かに目を閉じた。報道陣の取材拠点だった「定点」でも、手を合わせる姿がみられた。
 溶岩ドームを望む平成町の雲仙岳災害記念館では夕方から追悼行事「いのりの灯(ともしび)」があった。午後7時半ごろ、島原半島の小中学生が絵やメッセージを添えた手作りのろうそく約千本に明かりがともされ、訪れた親子連れらが犠牲者の冥福を祈った。

鎮魂の祈りを込めて子どもたちが明かりをともしたキャンドル。後方は平成新山=3日午後7時41分、島原市、雲仙岳災害記念館

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