受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1/Kato Yuki

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。

18歳で日本の高校を卒業するまで、海外に行ったことはおろか、英語を一言すら喋ったことがありません。

受験には失敗し、浪人。その後渡英し、様々な道のりを経て念願のケンブリッジ大学に合格。

その後は大学を卒業し、帰国。それから2年間塾講師として勤務し、現在は海外の大学院進学を目指すかたわら、作家の卵としても活動をしています。

今回この場をお借りして、僕が18歳のころ渡英を決断し、最終的にケンブリッジ大学に合格するまでのストーリーをお送り致します。

このストーリーを通じて、あきらめない事の大切さ、夢を大きく持ち続けることの大切さ、自分を信じ切ることの大切さが、少しでも多くの方々に伝わればと願っています。

受験生のころのエピソードから、渡英を決断するまでの経緯をパート1として、渡英後2年でケンブリッジ大学に合格するまでの経緯を、パート2としてお送り致します。

日本一やる気の無い東大受験生

僕は子どものころ、根っからの人間不信でした。

10歳の時に両親が離婚。その後転校先での出来事がきっかけで、あらゆる人や物事に対して疑心暗鬼になってしまいました。

高校時代は、ほぼ人と会話をせずに過ごします。

部活に没頭し、朝は誰よりも早く学校に来て、夜は誰よりも遅くまで残って練習に打ち込む毎日。

僕がいたのは県内でトップクラスの進学校でしたが、僕はその授業のほとんど全てを居眠りをして過ごしていました。

後々に分かったことですが、僕の内申書には普通に「1」がついています(本来なら落第です。テストの点数だけ悪くなかったので、なんとかお咎めを受けずに済んでいたのでしょう・・・)。

そんな僕が、3年生になって部活を引退。

もちろん、勉強なんかやる気になるわけがありません

しかしながら、どうにもこうにも、何もせずただ時を過ごしているのも辛い。勉強を「しなくてはいけない」という事が分かっていたから、なおさらやる気になれないのが辛い。

そこで、僕は一つ壮大な目標を立ててみることにしました。

それは「現役東大合格」というもの。何というか、単純に「他の大学を知らなかった」ということも手伝い、単純に「目指すなら一番しかない」という発想から思いついたものです。特に深い理由や、経緯があったわけではありません。

とにもかくにも、しかと目標を定めました。その後はひたすら勉強にのめり込んで、「東大に合格するために生まれてきたんだ」ぐらいな勢いで、没頭し始めました。

しかしある時、急に電池切れしてしまった自分を見出します。勉強が手につかなくなり始め、だんだん心根も腐り出していきます。

僕は突如として、「なぜ勉強しているのか?」が分からなくなってしまったのです。

東大に入ったところで、一流企業に就職したところで、出世して大きな収入と社会的地位を手に入れたところで、それが一体何になるというのか?  

僕は有体な世間的価値観に疑問を抱き、自分の人生の意味や将来の生き方について、真剣に悩んでいました。そしてそんな考えが自分の根底にあり、「やる気モード」の自分を根っから崩しにかかっていきました。

結局受験本番までの間、無我夢中に勉強にのめり込む時期と、はたまたやる気が心底尽き果てた時期とを繰り返し、かなり不安定な精神状態で過ごしていきます。

塾にも予備校にも通わず、誰ともまともに会話しなかったので、自分の偏差値を知らないほどでした(一度だけ大手予備校の模試を申し込みましたが、模試当日になって急にやる気がなくなってサボりました)。

それでも僕は当時、「五分五分で行けるな・・・!!」などと勝手に思っていました。

あくまで自分の感覚ですが、今考えれば本当にのんきなものです。

東大入試本番当日、赤門をくぐって構内に入り、安田講堂の脇で試験開始時間を待ちます。いよいよ受験会場に入るための受験生の列に並び、緊張で胸が高鳴って来るのを感じます。

しかしそこで急に、「自分はなぜ、今、ここにいるのだろう?」という問いで、頭が一杯になり始めました。急に目の前が暗くなり、不安で、何も考えることができません。その時国語の試験でしたが、全く活字が文章として頭に入って来ません。

結果、多くの難問がある中で、漢字の問題しかできませんでした。他の科目で挽回しようと試みましたが、結局点数は合格点に至らず、他に受験大学の無かった僕は、あえなく「浪人」という道に進まざるを得なくなります。

3か月だけの浪人生活

僕は高校を卒業して、4月から予備校に通いだします。「東大特進コース」のような場所にいましたが、講義も何もかも全てつまらなく感じられ、勉強をやる気にも全くなれません。

そんなこんなで、5月には早くも予備校をサボりだします。しかしサボったところで当時の僕は、正直言って家に引きこもるぐらいしか選択肢がありませんでした

確固たる目標を見失い、人生に対する意味も見いだせず、かと言って何をやるにも手がつけられず、本当に苦しい時期を過ごしました。

このまま自分は、堕落するか破滅するしかないのではないか・・・。自分の眼先に暗闇しか見えないような、孤独と絶望に打ちひしがれる毎日を送りました。

そんな中で唯一外出したのが、週に一度通い出した英会話スクールでした。

高校卒業後の4月から通い始めましたが、きっかけは本当に「なんとなく」です。

ネイティブのイギリス人が先生だということを売りにしていたスクールでしたが、そこを選んだのも本当に「たまたま」。新聞の広告か何かを見て、家から近かったから申し込んでみた、といった感じです。

そんな折に、僕はあるポスターをふと目にします。



「留学」  - 当時の僕には、あまりに新鮮すぎる言葉でした。

イギリスのへースティングスという場所に、語学留学に行けるという内容。7月の初旬から、期間は一ヶ月間。費用は航空券代込みで50万円。

直観的に、「これは行くしかない」と思いました。今の自分の状況を、どんな手段を使っても変えなければならない。自分の人生を、何としても切り開いていかなければならない。

親を何度も説得した挙句に承諾を得て、なんとか期限までに申し込みを済ませます。

その後は着々と準備を進め、少しずつ、希望の光が差してきたように感じていました。

そして季節は6月。留学を一か月先に控え、パスポートも取って、スーツケースも買って、英語もちょっとずつ上達して・・・。人生初の海外、初のイギリス、初の留学へ向けて、期待と緊張で胸が高鳴ります。

ある時ふと、自分の部屋にいていきなり妙な事を思いつきました。

突拍子も無い考えが、突如として天から降ってきた感覚です。

「7月に留学して、そのまま向こうの大学に行けるんじゃないか???」



直観的に狂人のように躍起になって、いろいろ調べ出しました。

イギリスの大学と言えば、とりあえず聞いたことがあるのは「ケンブリッジ」と「オックスフォード」。ひとまず、大学のホームページを見てみることにします。

が、当たり前ですが、全部英語で書いてあります

高校卒業程度の英語力で、理解できようはずもありません。断念します。

次に、「留学」というキーワードで検索をかけてみました。すると留学をサポートしているエージェントをいくつか見つけることができ、そのうちの一つに、完全にダメ元で、下記のような内容でメールを送ってみます。

「初めまして。私はこの春、高校を卒業した者です。今から、9月にケンブリッジ大学に入学したりできるでしょうか??」

すると、即「無理です」との内容の返信が。

しかし、「大学の前の学校なら、今からギリギリ申し込めば間に合います。」との文面も一緒に添えられていました。

「大学の前の学校??」 - 詳しく話を聞くと、どうやらイギリスも大学入試の競争が激しく、そのための外国人学校へ、この9月から入学したらどうか、という内容でした。

さらに詳しく話を聞いて、その学校へ入学するには何が必要か(資金、語学レベル、ビザ取得などなど)、いつどのような書類を提出すれば良いか等々、詳細な資料をたくさんもらいました。

外国人学校に2年。その後大学で3年。計5年で、総費用は日本円で0が7個つく桁に跳ね上がります。

すると、父親が猛反対。絶対ダメだと容赦なく切り捨てられました。が、僕は父親の目の前で、「生きてる意味が分からないんだ・・・」と泣きじゃくりました。今思えばとんでもない親不孝者ですが、父親としてもそんな僕を見て、いたたまれなくなったのでしょう。

最終的に、僕はイギリスの大学進学を目指すことになりました。

(費用については、将来全額返すということで、なんとか折り合いがつきました)

そしてもちろん目標は、ケンブリッジ大学への合格。


どんなリスクを背負っても、どんな手段を使っても、絶対に今の自分を変えないといけないと、僕は固く心に誓っていました。

生半可な決断ではありません。しかし僕は、最後まで自分の人生の価値を信じ抜くことにしました。行くからには、絶対ケンブリッジ大学にも合格すると、覚悟を決めました

そしていよいよ7月になり、当初予定していた1か月の語学留学へと向かいます。

9月からの本格的な受験勉強を控え、この1か月でどこまで英語を伸ばせるか。

自分にとって、大きな試練の始まりです。

死に物狂いの1か月

(へースティングスの写真。海岸沿いの小さな町ですが、景色も美しく歴史的にも有名な場所です)

僕は渡英の前までに、とりあえず英語の挨拶と簡単な自己紹介ぐらいはできるようになっていました。レベルとしては、全6段階の下から2番目のレベルです。

しかしいざイギリスに着くと、初日に語学学校で受けたテストのできが予想外に良く(テストはなぜか文法と単語中心で、スピーキングは全くありませんでした)、僕は上から2番目のupper-intermediate というクラスに入ることになりました。

この結果に僕は意気揚々として、自信に満ち溢れて教室に入っていきます。

これからケンブリッジ大学を目指すのだから、これくらいできて当然だろうと・・・。

教室に入ると、まず先生から自己紹介をするように言われました。日本で習った表現を駆使しながら、懸命に一つ一つの言葉をつなげ、大事に発音していきます。

自分としても満足できるほど、その時はスラスラと話せたような気がしました。

ところが、その後が問題です。

僕のことを話題にクラス皆が話し合っていますが、みんなが何を言っているのか全く聞き取れません

特にブラジル出身の男の子から質問を受けましたが、早口で巻き舌なので、一語として聞き取れません。唯一聞き取れたのは、かろうじて"Dragon Ball"という単語だけ・・・。

僕は初日から、ネイティブのイギリス人のみでなく、周りの生徒のレベルの高さを嫌と言うほど痛感させられました。

自分が想像していたものと、あらゆる面で次元が違い過ぎる。

受験勉強で散々やって、得意に思っていた単語やリーディングでさえ、周りに全然ついていけません。

僕の自信は、あっさりと崩壊します。

さらにConversation(会話)のクラスでは、「受講人数が少ないから」という理由で、僕は最上位のAdvance(上級)の人たちと一緒にクラスを受けることになります

むろん、彼らはネイティブ並みの会話力を持っています。

僕はただでさえ自信を喪失していたところ、いきなりそんなただ中に放り込まれてしまいました。

その日のクラスの内容は、「メディアの○○について、△△を考えて、自分の意見を3分で発表しよう!」というものでした(僕のリスニング力では、先生のお題を理解することすらできません)。

クラスは8人ほどがいましたが、時計回りにクラスの奥の人から順番に発表していきます。

発表が終わるごとに、拍手と活気あふれる質疑応答。しかしながら、僕は全く何もかもについていくことができません。

僕はクラスの一番手前に座っていたので、発表順は一番最後でした。

自分の番が近づくにつれ、緊張で心臓の鼓動が破裂しそうになります。冷汗が止まりません。何も理解できない惨めさと恥ずかしさで、教室から逃げ出したい気持ちで一杯でした。

果たして自分の番が来たとき、僕はどうすることもできず、ただ他の全員に謝り続けました。

「ごめんなさい、みんなが何を言っているのか、さっぱり分かりません。今何をしているのかさえ、リスニングができないから、全く分からないです。ごめんなさい・・・。」

クラスが終わり、僕は完全に心がへし折られていました。茫然として、立ち上がることすらできません。「ここまでの差があるのか?こんな風で、大学に進学なんかできるものか・・・?」

僕はクラスの先生に、「下のレベルのクラスに行きたい」と嘆願しました。そんな事を言わなければいけないのが、惨めで悔しくってたまりません。それでも、涙がこぼれるのを必死でこらえて、先生にお願いをしました。「このクラスでやっていくのは、到底無理だ・・・」

僕は当然、先生がそれを了解してくれるものだと思っていました。しかし先生の口から出たのは、全く意外な言葉でした。

You should stay in this class! (キミはこのクラスに居続けるべきだよ!)

先生は躊躇無く、満面の笑みで言い切ります。

「どうして?僕はこんなに、英語全然できないんだよ!?」と僕はなおも食い下がります。しかし先生は、「努力を続ければ、きっといつかできるようになる」と、そんなことを全くためらいも無く、明るく言い続けてくれました。

その時の先生の言葉があったからこそ、僕はその後、死に物狂いでチャレンジを続けていくことができます。

(イギリスで毎日書いていた、当時の日記です。ホームステイのお父さんに、親切にも毎日添削をしていただいていました)

それからはまず、1日に少しでも多く英語を話すため、機会を見つけてはピストルの弾のように、どこへでも人と話しに飛び込んでいきました。

落ち込む暇の無いくらい、ご飯を食べる時も、学校の行き帰りも、皆で飲みに行っている時も、常に英語を使う真剣勝負。

元来人と話すことに抵抗のある僕でしたが、そんな事に構っていられません。

自分の殻をかなぐり捨てて、自分から体当たりでいろんな人に声をかけていきました。

少しでもチャンスを作って、少しでも多く工夫を加えて、無遠慮に会話の空気も読まずとも喋り、ひたすら間違いをしては直すことを、必至で繰り返していきました。

特に自分が工夫したのは、1日の中で幾つかテーマを絞って実践してみることでした。

今日はthat節の文を使ってみようとか、rの巻き舌をずっと練習しようとか、色んな工夫を積み重ねました。

そうして自信を持って使える表現が増え、めきめきと会話が上達していくのを、1日ごとにひしひしと感じていくことができました。

もちろん、全く英語ができないような気がする時も多々ありました。

そんな時でも努力を怠らず、自分の可能性を信じ続けました

そして1か月後、英語がペラペラになっている自分の姿を、絶えず強く想像し続けました。

(渡英後3週間目の日記。当初と比べ、英語を書き慣れたことに加え、使える表現がずっと増えています)

そして1か月後、気が付くと僕は、日常会話は一通りペラペラ話せるほどになっていました

最後の授業の日、Conversationのクラスでは「地球環境」がテーマでした。環境問題について、自分がこれからどんな行動をしていきたいかを述べる、といった内容です。

僕は他の人の意見を参考にしつつも、日本とイギリスのごみの分別の仕方を紹介したりして、ごみの分別の重要性を伝えていったりしました。

最初は恐れすら抱いていたものの、最後はAdvanceの人たちにひけを取らないぐらいに話すことができたのです。

僕の上達に、周りの生徒や先生たちはみんな驚いてくれていました。

Conversationのクラスの先生は、「本当によくがんばったね!」と僕の努力を心から讃えてくれました。「先生があの時ああ言ってくれたから、僕はこれまで頑張ってこれたんだよ!」と伝えようとしましたが、感激で頭がぐちゃぐちゃになって、その時ばかりはうまく言葉が出て来ません。言葉よりも、喜びでくしゃくしゃになった僕の顔で、先生に何か伝わっていればと願っています。

とにかく、1か月という時間は、本当に矢のごとく早く過ぎ去っていきました。

しかしその1日1日が重厚で、僕はあきらめずに努力を続けることの大切さ、自分を信じ切ることの大切さ、そして何事にもチャレンジし続けることの尊さを、骨の髄まで学び取ることができました。

1か月でも、人は死ぬ気になれば変わることができます。

こうして初めての留学は成功裡に終わり、いよいよ9月から、ケンブリッジ大学入学を目指し、本格的な受験勉強を始めていくことになります。

ここまでご一読いただき、本当にありがとうございました。

この度は知人のNobutaka Tsubotaさんを通じてstorys.jpを知ることができ、加えて様々なきっかけから、文章が人に与える影響力の強さ、自分の体験を人に伝えられる尊さを学んだことで、今回の執筆を決意することができました。

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この度は稚拙な文章ながら、みなさま貴重なお時間を割いてご一読いただき、本当にありがとうございました。

著者:Kato Yuki (from STORYS.JP)

[続き]受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート2(完)

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