100歳を迎えた元首相 中曽根康弘氏の経歴は?ちなみに長寿「2位」はあの人!

5月27日に中曽根康弘元首相は100歳を迎えました。
総理大臣経験者で100歳を迎えたのは、102歳で亡くなった東久邇稔彦元首相に次ぐ2人目。現行憲法下では初めてとなります。なお、存命中の元総理大臣で中曽根氏に次いで長寿なのは、村山富市元首相の94歳です。

100歳を迎えたことについてコメントを求められると、中曽根氏は「大正、昭和、平成の3つの時代を生き、明年には新たな元号も始まる。4代を生きることに誠に深い感慨を覚える」と述べ、「与野党を問わず真に国民参加となる憲法の実現を目指し、真剣に取り組むことを期待している」と憲法改正議論の加速について言及しました。

群馬県出身。衆議院議員として連続20回の当選を果たす

中曽根康弘氏は1918年5月27日、群馬県高崎市末広町の生まれで現在100歳です。旧制高崎中学、静岡高等学校を卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に進学。同大学を卒業後、1941年に内務省に入省するも、海軍主計中尉となりました。終戦後に内務省に復帰しますが、1946年に同省を退職し政治の道へ進みます。

1947年の第23回衆議院議員選挙で初当選し、以後連続20回の当選を果たしました。1959年の第2次岸内閣では、科学技術庁長官として初入閣します。1967年の第2次佐藤内閣では、運輸大臣に就任。1970年の第3次佐藤内閣では防衛庁長官、1972年の第1次田中内閣では通商産業大臣に就任します。1980年の鈴木内閣では、行政管理庁長官に就任するなど要職を歴任しました。

中曽根氏の内閣総理大臣としての実績

中曽根氏は1982年に、第71代内閣総理大臣に就任します。「戦後政治の総決算」として、日本国有鉄道など3公社を民営化し、JR・NTT・JTを誕生させました。さらに、レーガン米国大統領との蜜月ぶりは「ロン・ヤス関係」と呼ばれ、日米安全保障体制の強化に尽力。首相在職日数は1,806日で、戦後5番目の長期政権となりました。

中曽根氏はライフワークとして憲法改正に取り組み、「国民は国の前途を憂いつつマック憲法迎えたり。我(わ)が憲法打ち立てて国の礎築くべき」とし、1956年に「憲法改正の歌」を自ら作詞。また、「私の心の中には国家がある」「政治家は歴史法廷に立つ被告である」「理想や目標を持たない民族は滅びる」といった中曽根語録が残されています。

2003年には小泉首相による定年制導入のため引退を要請され、衆院選立候補を断念し、政界からの引退を表明しました。

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