「関与してたら辞める」を歪曲する常軌を逸したマスコミのロジックと財務省の歪んだエリート意識

写真:ロイター/アフロ

森友学園に関する財務省の文書改ざんについての報告書が、6月4日に明らかになって、またマスコミや野党の政権批判が加速している。

この報告書を読むと、

https://www.mof.go.jp/public_relations/statement/other/20180604chousahoukoku.pdf

1)森友学園問題についての改ざん前文書などを参照にすると安倍首相も首相夫人も一切関係がない、

2)文書改ざん・交渉記録の廃棄は財務省理財局と近畿財務局を中心に行われた。そして佐川宣寿前国税庁長官が方向性を決定付けた。その動機は、国会での問題の紛糾を回避するためだった、

3)近畿財務局は本省理財局に抵抗する職員たちもいた

などが注目ポイントだろう。

財務省が国民の信頼を喪失させた責任は重大であり、今回の職員20人への処罰だけで終わることなく、同省の体質を含めて監視し、改革を求めていくものだと思う。ところがマスコミや野党は相変わらず政権批判に力を入れているだけだ。

麻生財務大臣の責任は大きい。麻生大臣の進退については評価が分かれるだろう。私見では、単に文書管理の見直しや綱紀粛正程度では、麻生大臣はなんのために在任するのか皆目わからない。大胆な財務省改革でもしなければいてもいなくても構わない。安倍首相もこの機会に財務省改革と同時に、財務省の生命線ともいえる消費増税路線を終焉させるぐらいの大胆さがほしい。というか、(14年の増税以降)消費が低迷して日本経済を不十分な成長に押さえつけている状況を考えれば、財務省の権力の基盤ともいえる増税路線を廃止することこそ、国民にとって利益になる。財務省への忖度はいいかげんにやめよ。

他方で、マスコミや野党は、財務省改革などはどうでもいいようだ。麻生大臣の進退も単に安倍政権への痛撃を狙うものにすぎない。野党はまだわかるが、「麻生氏、なぜ辞めぬ」と題した記事を書く毎日新聞などのマスコミはかなり政治的色彩に偏っている。麻生氏の監督責任があるにせよ、さすがに報告書を読めば財務省理財局と近畿財務局がまったく大臣の知らないところで勝手に改ざん・廃棄をすすめている。麻生氏がすべてを監視する目でももっていれば責任は重大だが、これでは予防のしようもない。むしろ監督責任よりも、麻生氏の財務省改革の姿勢のあるなしについて厳しく追求すべきではないか?

問題は、財務省の役人たちが、まるで国会を仕切るかのように、国会審議でさらなる質問がでないようにすることが文書改ざん・廃棄の目的であったことだ。国会は国会議員が議論リードするべきところであり、財務省の役人が仕切る場ではない。ここに財務省の醜く歪んだエリート根性を見出すのはたやすい。財務省の歪み肥大化したプライドを傷つけることが今の日本には必要だ。その権限を分割・廃止し、さらに他省庁の下部組織にするぐらいの意識を政治家や国民がもつことが必要だ。90年代のような大蔵省改革がいかに無駄だったのかが今回明らかになった。財務省の歪んだプライドと権限の肥大化を正すべきだ。それには繰り返すが、消費増税を核にした「財政再建」を粉砕すべきである。

いま財務省や国税庁は、小学校などの教育現場で、税や財政についての理解を促す教育プログラムを行っている。厳しい表現を使えば、これは一種の“消費増税のための洗脳教育”の可能性がある。検索すれば、国税庁などのホームページでも事例を確認できる。ただ筆者がみた事例だと、小学生たちは消費税について圧倒的に反対なようで心強い。財務省や国税庁の狙い(?)通りにはいっていないようだ。だが、財務省の増税への執念は“草の根”まで巻き込む悪質さがある。「悪質」と書いたが、それは現状の日本では財政危機の懸念はなく、むしろ上記した増税による経済低迷の方が懸念されるからだ。今の経済を悪くすることは、将来の子供たちの未来を危うくする。それなのに財務省とその周辺の増税政治家、増税マスコミたちの野望は潰えない。文書改ざん問題でも懲りることはないだろう。

だが、マスコミや野党の多くは、報告書にはまったく書かれていない安倍首相に文書改ざんの責任を結びつけようと必死であるようだ。例の首相と首相夫人が森友学園に関与したら首相の職をやめるとする国会での発言が、文書改ざんの引き金になったというロジックである。

だが報告書を読めば、そんな経緯はまったく書かれていない。むしろ森友学園に野党議員たちが押し寄せた出来事(テレビ向けのパフォーマンスの類)が大きなきっかけだった。そんな事実はマスコミや野党は無視である。当たり前だ。森友学園問題を無理やり、首相と首相夫人に結びつけようと派手なパフォーマンスをした野党、それを大々的にとりあげたマスコミ自体にいくばくかの批判の目がいくのを避けたいのかもしれない。もちろんそんな見え見えのパフォーマンスや報道姿勢であっても、財務省が文書改ざんや廃棄をした事実を弁護する材料にはひとつもならない。

ちなみに首相の答弁自体は、森友学園の土地取引や価格交渉に首相と首相夫人が関与していれば辞めるという、当たり前の限定条件がついている。だがマスコミではなんの形であれ関与したらやめるとでもいった形で無限定に報道されている。悪質である。政治を常に距離を置き、その活動を批判的にみるのはジャーナリズムのひとつの在り方だ。だが、今回の麻生大臣の辞任要求とでもいうべき報道姿勢、また安倍首相の「関与」答弁への強引な関連づけなど、マスコミはこの一年以上そうであり続けたように常軌を逸していると思う。

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