
最近見た映画で個人的に気に入って薦めている作品がある。
『フロリダ・プロジェクト』(ショーン・ベイカー監督)は、最近私が一番ヤラレた映画かもしれない。
この映画を見て、私はふと日常にある“あちら側とこちら側”についてをぼんやり考えさせられた。

世の中には、日常に垣間見る不思議な風景というものがあって、例えばディズニーランドは浦安にあるが、あの場所もちょっと不思議でならない。何の気なしに湾岸線の高速道路から唐突にシンデレラ城の先っぽが見えてくるが、あっという間に高い塀で取り囲まれて見えなくなる。
そしてあの向こう側、つまりディズニーランド内からはこちら側、つまり外の世界はまったくといっていいほど見えない。それもそのはず、夢の国ディズニーなのだから、非日常のあちら側から日常の外の世界のこちら側を遮断しているのだ 。
『フロリダ・プロジェクト』は本家アメリカのディズニーワールドがあるフロリダ州オーランドを舞台に撮られた映画だ。
世界的観光地、ディズニー城下とも言われるオーランド。
「サンシャインステイト」と言われたフロリダ。
また「オレンジカウンティー」とも称され、可愛いオレンジのキャラクター「フロリダ・オレンジバード」はディズニーによるデザインだったりする。
湿地帯で沼地が多く起伏の少ない土地。
そんな土地にディズニーが1950年代後半に企てた“フロリダ・プロジェクト”と呼ばれたテーマパークの街作り。テーマパークに代表される観光地として名高いフロリダ・オーランド。
そして本作は、サブプライムローン以降のアメリカ・フロリダの光と影を描いている。

サブプライムによる住宅バブル崩壊の余波を食らったフロリダ。
貧困層の巣窟となった安モーテル群を舞台に、主人公となる母娘の暮らしが描かれているのだが、この母娘がとんでもないビッチな親娘。嘘はつくし盗みはするし売春までする。
なのにとびきり愛らしくて優しい。そして周囲のひとびとからはごく普通の愛情が(長屋的愛情とでもいうか)感じられる。
安モーテルは皆、夢の国からの引用で「スペースワールド」や「マジックキャッスル」といった名前のハリボテのような佇まい。
有名な役者がほとんど出ていない。タトゥーが印象的な母親役はインスタグラムでスカウトしたというし、娘役も初めて見る顔だ。
モーテルの管理人をあのウィレム・デフォーが演じている。(デフォーを知らない? 『ファインディング・ニモ』(2003年ディズニーアニメ)のあのツノダシ・ギルの声のデフォーですよ!)
いつも悪役やちょっと癖のある役がハマる不思議な魅力を放つデフォーだが「こんなに普通のデフォーをみたことがない!」と絶賛するほど、ごくごく普通の良い人を演じている。
そしてそれは、単に普通の良い人に収まらぬ、生ぬるい愛情を孕んだ母性すら感じられるぶっ飛びよう。まるで母性を孕んだ古尾谷雅人のような、母性を孕んだ普通のおじさんというぶっ飛んだ、不思議な魅力を放っているのだ。
さらにこの映画を見て、かつて何度か訪れたフロリダの記憶をふと思い出していた。
劇中、子どもたちが横切る大きな流れの川のような国道沿いの街の風景。
私もあの192号線沿いを歩いたことがある。
そして、MGMディズニーハリウッドスタジオや、ユニバーサルスタジオといった映画スタジオアトラクションが楽しめる巨大遊園地。

セサミ・ストリート、マペット3Dシアターがあり、あちこちにカエルのカーミットだらけでカーミットの世界にどっぷり浸れる。
木馬座・ケロヨンを卒業した頃からのカーミットファンの私は、どこへ行くのにもカーミットを連れ、世界中を歩いた。腕時計、シャツ、タオル、家の電話、トイレや風呂場に至るまで、人生丸ごとカーミット狂だった。
カーミットは、セサミのマペット作家ジム・ヘンソンが一番愛した第1号キャラで、世界一有名なカエルと呼ばれ、今でも人気者だ。
遊園地では『アメリカン・グラフィティ』のメルズ・ドライブインがあったり、古いモノクロSF映画を見ながら、オープンカーシートで食事ができる「サイファイ・レストラン」を楽しんだり、ヒッチコックシアターや『サイコ』のベイツモーテルを眺めたり『ジョーズ』や『インディ・ジョーンズ』『E.T.』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などなど、あげたらきりがないほどの映画のアトラクションやレストラン、土産物などがあちこちに。
そして『スポンジ・ボブ』で有名なニコロオデオンスタジオで生放送番組を観覧したりと、アニメや映画好きなら存分に楽しめる夢のテーマパークだった。
だけど、それはみんなハリボテのかりそめの世界で、それでも人工着色料たっぷりのキャンディーやこれでもかというほどでかい炭酸飲料水をゲップが出るほど飲んで、子ども気分ではしゃいでいれば、それなりに楽しいフロリダ滞在。

192号線付近には、映画に出てくる安宿やショップが並ぶ。
1999年、私もあの付近を歩き、近くのチェーン展開している安宿に滞在した。
私が見たフロリダ・オーランドは、アメリカの田舎からやってきた老夫婦やキャンピングカーで旅する家族、ディズニー狙いの家族連ればかりが目立った。
そして『フロリダ・プロジェクト』の舞台になった安宿「マジックキャッスル イン」の近くにある「セレブレーション・タウン」という名の高級住宅街。
その街づくりは、ディズニーが計画した夢の住処と言われる。
思えばアメリカは1960年代くらいから「アメリカンドリーム」としての住宅コミュニティーを作ってきた。
『サバービコン仮面を被った街』(2017年 ジョージ・クルーニー監督 コーエン兄弟脚本)という映画もアメリカの郊外に作った住宅コミュニティーの恐怖の話だった。
「セレブレーション・タウン」もそのひとつで、ディズニーによる理想の街づくが企てられたユートピア的な集合住宅地だ。
そこには古き良きアメリカ住宅や便利で〝歩きたくなる街並み〟が用意されているらしい。
夢の住処には、芝を伸ばし放題にしない、オンボロ車には乗ってはならないなど、徹底したルールもあるらしく、なんだか夢のユートピアとは真逆な奇妙な世界と感じるのは私だけだろうか。
ディズニーのユートピア。そこで暮らすひとびと。
そこでの暮らしは私には“かりそめ”であるように見えても、好みはそれぞれ。
そしてそれと近い場所、川のような流れの国道の向こう側に「マジックキャッスルイン」
はあるのだ。
しかし案外、こちら側もあちら側も、本家ディズニーワールドも「セレブレーションタウン」もどれもこれもぐるぐると、ワニが潜んでいそうなあの湿地帯周辺を巡り巡っている“かりそめのユートピア”ではないのだろうか、と考えてみたり。
終盤、映画は予測可能な展開をみせるのだが、その結末に私はギャフンとなった。
あの少女が友達の手を引いて挑んだ方向は、果たして……。
なんだかこのテーマはアメリカ合衆国だけが抱えている貧困の話じゃない、もっとシンプルなこちら側とあちら側の話、どっちが本物でどっちが偽物か。
貧しさと豊かさのどの境界線もなくなった場合の、ゾッとするような、なんとも言えぬ“かりそめ”の虚しさ、痛さを感じたのだ。
ともあれ『フロリダ・プロジェクト』という一本の映画から、かつてかりそめの時間を楽しんだフロリダの記憶がよみがえり、私の知らないフロリダの今を知ることができた。
見終わって、映画の冒頭にクール・アンド・ザ・ギャングのヒット曲「セレブレーション」が流れる意味がようやく理解でき、少女ムーニーを演じたシャーリー・テンプルをクソガキにしたような振る舞いの笑顔がとびきりキュートなブルックリン・プリンス嬢の存在にヤラレたり。
こちら側もあちら側も自在に行き来し掻き回す、彼女の遠心力にぶんぶん振り回されるウィレム・デフォーじゃないが、そんな彼女から目が離せないのだ。
まるで、ほんのわずかな母性がくすぐられるような、あるいはいまだに大人になりきれない自分に重ねてみたりするような。
あの映画の中でムーニーたちと一緒にソフトクリームをペロペロしている私を妄想したり、はたまた座席でハラハラひとり見守る私がいたりするのだから。
映画のあちら側とこちら側。
現実のあちら側とこちら側。
なんとも奇妙で不思議な映画体験だったのだ。
