W杯を前に日本代表歴代ユニフォームを見る!「2001年コントラストモデル」

通算6度目のワールドカップが目前に迫っている日本代表。ロシア大会は初出場となった1998年のフランス大会から20年の節目でもある。そこで過去の日本代表ユニフォームを振り返ってみよう。

今回は2001年に使われた、通称「コントラストモデル」!

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日本代表 コントラストモデル

コントラストモデルとは、2001年の1年間のみ使われたユニフォームのこと。ボディ部分と肩部分の色が対照的なことからその名が付いているが、正直なところ「取って付けた感」は否めない名称だ。

どちらかと言えば、「2001年コンフェデ杯モデル」のほうがしっくり来るのではないだろうか。

コントラストモデルは日本代表の欧州遠征で初使用。2001年3月24日にサンドニで行われたフランス代表との試合で、まずアウェイキットがデビューした。

一方ホームキットは、同年5月31日のコンフェデ杯開幕戦となったカナダ代表戦で初使用している。

この年、日本代表は国際Aマッチを13試合消化しているが、その対戦相手は3月のフランス代表に始まり、スペイン代表、カメルーン代表、ブラジル代表、パラグアイ代表、ユーゴスラヴィア代表、セネガル代表、ナイジェリア代表などと戦い、11月のイタリア代表戦で締めている。まさに錚々たる顔ぶれだった。

日本代表 2001年 ホーム ユニフォーム

青をベースに、肩から袖にかけて白を配したホームキット。その2色の境界にある赤いパイピングがデザイン上のアクセントとして効果を発揮し、日本らしさを落とし込んだ配色となっている。写真向かって右下の蛍光色のタブは、選手用のユニフォームにのみ付くEQUIPMENTタブ。

当時サンフレッチェ広島に所属していた久保竜彦は、この年2試合の国際Aマッチに招集されている。

シャツ、パンツ、ソックスの色の組合せは、基本的に上から「青-白-青」だった。

当時鹿島アントラーズに所属の中田浩二は、この年すべてのAマッチに招集。フィリップ・トルシエ監督(当時)からの信頼の厚さが伺える。

中山雅史はそれまで付けていた9番から、“盟友”三浦知良がかつて背負った11番に変えてコンフェデ杯に臨んだ。

コンフェデ杯は決勝でフランス代表と対戦したが、0-1で敗れて準優勝に終わった。画像はマルセル・デサイーとマッチアップの西澤明訓。

この試合で日本代表は上から「青-青-青」のオール青を着用している。

日本代表 2001年 アウェイ ユニフォーム

コントラストモデルのデビュー戦は、フランス代表に0-5で大敗した“サンドニの悲劇”。中田英寿を除いて、ぬかるんだピッチコンディションに日本代表選手は苦戦した。画像は中村俊輔とビセンテ・リザラズ。

フランス代表戦から1か月後の4月25日にコルドバでスペイン代表と対戦したが、0-1で敗れている。この試合で中田とラウール・ゴンサレスの“7番対決”が実現した。

アウェイキットの配色はホームキットの反転。日の丸は右袖と胸中央の2か所に付いている。名波浩にとってコルドバでのスペイン代表戦は、日本代表ユニフォームに袖を通した最後の試合となった。

コンフェデ杯ではカメルーン代表戦とオーストラリア代表戦で着用。カメルーン代表戦で2ゴールを決めた鈴木隆行は、ギラギラしたプレースタイルとその髪色から“金狼”と呼ばれるように。

2001年最後の試合となった11月のイタリア代表戦ではホームキットを着用。これを最後にコントラストモデルはその役目を終え、翌年にいよいよ空前の大ヒットを記録した2002年W杯モデルが登場する。

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