プロ選手から技術者、そして指導者へ…戦争に翻弄されたコーチが「表彰」受ける

『Cambridge News』は11日、「ポットン・ユナイテッドのリザーブで監督を務めているナースル・アル・ハーティブが表彰を受けた」と報じた。

ポットン・ユナイテッドは現在スパルタン・サウス・ミッドランド・リーグのプレミア・ディビジョン(9部)に所属するチーム。

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今季からそのリザーブチームを率いているアル・ハーティブ氏は、非常に珍しいキャリアを持っている人物だ。

イラクでプロサッカー選手としてプレーしていたものの、2003年に発生した湾岸戦争でキャリアを断たれてしまったのだ。

故郷を離れてUAEに渡り、エンジニアとして働き始め、数年後にイギリスへ。そこで彼はサッカーへの情熱を取り戻す。

ブルネル大学に在籍しながら地域リーグでプレーし、卒業後はITコンサルタントを務めながらユース年代のコーチとして活動を始めた。

フルボーン・インスティテュートのU-11、チェリー・ヒントン・ライオンズのU-13、ダウンハムFCで指導を行ったあと、ノリッジ・シティの地域開発プログラムに参加した。

指導者としての評価を高めた彼はケンブリッジ・ユナイテッドのアカデミーを経てハンティンドン・ユナイテッド(13部)でアシスタントコーチに就任。

そして今年ボットン・ユナイテッド(9部)のリザーブチームの監督として招聘されることが決まった。

さらに、今回「イギリスで活躍するイラク人」として、大使館から感謝状が授与されることになったのだ。

ナースル・アル・ハーティブ 「私が最初にイラクでプロサッカー選手になった時は16歳だった。アル・シナーで最年少の選手だったね。

それからアル・カハラバに移籍してイラク代表選手と一緒にプレーできた。全てが上手く行っていたんだ。

しかし、戦争が起こってしまった時、私はもうサッカーに興味を持てなくなっていた。

父親が戦争中に殺されてしまった。それから自分がどれほど大きな影響を受けたのか、あとで分かってきた。

私は荷物を詰め込んで、ドバイへ行った。そしてエンジニアになった。

イングランドに来た時、英語を学ぶこと、エンジニアとしての仕事を探すのが目的だった。

しかしすぐに私は見つけたんだ。自分の心は、まだサッカーの鼓動を宿しているとね。

僕はケンブリッジ・ユナイテッドのサッカースクールに行って、コーチングの仕事を探した。そのほうがいい仕事だと気づいたからね。

地域のサッカー協会にも連絡した。なぜなら、クラブを探すのに苦しんでいたからね。ネットも持っていなかったから。

たくさん電話をかけたよ。でもなかなかチャンスをくれる人はいなかった。ただもう扉は開いたから、その苦しさを振り返ることはないよ。

ゲームに戻れたことを嬉しく思う。この賞を受け取ることができて非常に光栄だ。自分が何をしているのか、改めて気づかせてくれるよ。

ボットン・ユナイテッドで新たな章を始められることに興奮している。自分はやれるというところを見せたいと思っている。楽しみにしているよ」

現在はUEFA Bライセンスを所有しているアル・ハーティブ。来月Aライセンスを取得するためのFAの研修を受ける予定となっている。

各地でこのような指導者が現れるところも、さすがサッカーの母国の奥深さ。行動を起こしたものには必ずチャンスが訪れるということを教えてくれるエピソードだ。

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