父子家庭を支援 保育園設立 長崎のシングルファーザー

 大家族や核家族、ひとり親に共働き世帯…多様化する社会の中で「父親像」もさまざまだ。長崎市の松尾伸也さん(45)は、シングルファーザーとなって2人の子育てをしながら、同じような境遇の人を支援しようと保育園をつくった。17日は「父の日」。
 同市平間町の認可保育園「TON TON 輝(あかり)保育園」。園長の松尾さんが絵本を手に教室の床に座ると、園児が集まってきた。人物によって声色が変わる読み聞かせが始まる。園児の目が輝いた。
 13年前のある日、松尾さんの妻は突然、姿を消した。家の机の上には、印鑑が押された離婚届。この時、長男は小学1年生、長女は5カ月。この先、一人で育てていかなければいけない。不安で3日間、泣いた。育児相談のため児童相談所に行くと「施設に入れることはできます」と言われた。「父親だけで育てるのは無理ということか」。意地でも自分で育てようと決心した。
 インターネットで「父子家庭」を検索し、多くの仲間とつながった。彼らと意見を交わすうち、同じような境遇の人を支援しようと保育園の設立を思い立つ。子どものそばにいてあげられる職場も魅力的だった。前職は建設関係。畑違いの挑戦に周囲は反対した。でも意志はぶれず、保育と経営を猛勉強した末、離婚から2年後に認可外保育園を開いた。
 当初は苦労の連続だった。雨の中、ベビーカーを押して近隣の一軒一軒にチラシを配って回った。仕事のストレスがたまり、いらいらして帰宅したこともある。10歳に満たない長男が空気を察し、幼い妹の面倒をみてくれた。遅くなった夕飯にも「おいしいね」と笑顔を浮かべ、そのけなげさに胸が締め付けられた。
 2015年に認可保育園に移行するまで、経済的な理由で我慢させたことも少なくない。長男が中学の時、部活動のジャージーを買ってあげられなかった。シューズの靴底がはがれれば、ボンドで付けて使った。忙しく厳しい生活だった。
 それでも、父は率先して笑った。家族の絆を育んできたのは日々の会話。一日の出来事を競い合うように3人で話した。母の愛情を覚えていない長女は、友人の母に甘えさせてもらった。「(昔から知っていて)うちの子みたいなもん」と受け止めてくれ、褒めたり、叱ったり。周囲の優しさにも助けられてきた。
 現在、長女は思春期真っただ中の中学2年。部活動のバレーボールに夢中で、父には「別に」「何でもいい」が増えた。でも、それも成長の証。19歳の長男はゲームプランナーを目指し、福岡の専門学校に通っている。春に帰省した息子がこんな言葉を口にした。
 「あのころ(の苦労)があったから今がある。今となってはいい思い出。戻りたくはないけどね」
 3人で苦楽を共にしてきた約12年の月日。2人の成長を実感し「間違いじゃなかったのかな」。今、しみじみと幸せをかみしめている。

優しいまなざしで園児を見つめる松尾さん(中央)=長崎市、「TON TON 輝保育園」

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