日本最速タイの8戦目で2階級制覇を達成した世界ボクシング機構(WBO)ライトフライ級チャンピオン田中恒成(たなか・こうせい)21歳。「防衛するよりチャレンジしまくりたいタイプです」。中京大に通う現役の大学生でありながら、強い相手を求めて戦い続けるプロボクサーの生き方を追った。
高校で4冠を達成し在学中にプロに転向、またたく間にミニマム、ライトフライの2階級を制覇した。元世界王者で「SOUL BOX畑中ボクシングジム」の会長畑中清詞(はたなか・きよし)(50)も「怪物だ」と話す。そんな田中にも、苦い思い出がある。
「今となってみれば後悔じゃないけど…」。高校2年までにタイトルを総なめにし、臨んだ高3のインターハイ。勝つうれしさを見失い、闘争心を欠いていた。腰の状態が悪く、思うように動けないもどかしさからふてくされ、監督で恩師の石原英康(いしはら・ひでやす)とも衝突。練習もサボった。それでも「勝って当たり前」と思っていた準決勝で、まさかの判定負けを喫した。
悔しさとふがいなさで3位のメダルは表彰後すぐに外し、賞状は丸めて放り投げた。
「自分に負けていたんです。試合前に負けていた」。決勝に体力を温存しようとした自分を悔いる言葉が並んだ。一戦一戦出し切らなければ、と痛感した。
インターハイ後、プロテストを受けた。デビュー戦はその2カ月後。相手は、日本では前例のない世界6位のランカーだった。畑中も「一種の賭けだった」と話す。
ヘッドギアを外し、グローブも小さい。6ラウンドの試合も初めてだ。分からないことだらけ。「強い相手がいいなんてアホなことを言った。プロとして自分がどのレベルにいるかもわからなかったのに」。怖さが襲ってきた。腰も治っておらず、注射を打っての練習。不安で眠れない日々の中、背中を押してくれたのは周囲の支え、そして期待だった。
100円のパンを我慢していた友だちが、5千円のチケットを買って見に来てくれる。
「根拠はなくてもいい。自信だけは持って一戦一戦やろう。自信が無いやつにお金を払わせるのは失礼じゃないか」
インターハイのときのような思いは繰り返したくない。自分と向き合い続けて出した答えに、逃げるという選択肢はなかった。「負けたらみんなに合わせる顔がない。なにより、2度と自分に負けたくない」
1ラウンド目に強烈な右ストレートを決めダウンを奪うと、見事な判定勝ち。プロとしての自覚が芽生え、挑戦する喜びを取り戻したデビューだった。(敬称略、年齢などは取材当時、名古屋写真映像部・稲葉拓哉29歳)
続く
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