ついに6度目のワールドカップを迎えた日本代表。
ロシア大会は初出場となった1998年のフランス大会から20年の節目でもある。そこで過去の日本代表ユニフォームを振り返ってみよう。
今回は2002年日韓ワールドカップのユニフォーム、通称「富士山モデル」!
日本代表 富士山モデル
首元から袖にかけての赤いパイピングが富士山をイメージしていることから、富士山モデルと呼ばれるこのユニフォーム。脇から腹部にかけての逆三角形部分は「湖面に映る逆さ富士」をイメージし、日本の象徴を落とし込んだデザインだった。
ホームキットは2002年3月21日に大阪で行われたウクライナ代表戦でデビュー。試合は戸田和幸のゴールにより1-0で勝利し、さい先の良いスタートを切っている。
W杯開幕が近づくにつれ「どこでも目にするようになった」この富士山モデル。当時はJFAのスポンサーである某コンビニエンスストアの店内でも販売していたくらいで、その売り上げ枚数は約60万枚とも言われている。文字通り“空前の大ヒット商品”だった。
日本代表 2002-03 ホーム ユニフォーム
ホームは基本的に上から「青-白-青」の組合せ。ベスト16の成績を収めた2002W杯では、グループステージのロシア代表戦、チュニジア代表戦、そして決勝トーナメント1回戦のトルコ代表戦で使用した。
W杯ユニフォームはエンブレムの下に対戦国や試合日などのマッチデイをプリント。
ユニフォームはエンブレム、メーカーロゴ、袖のスリーストライプスに薄いラバー素材を使用し、徹底的に軽量化を図った。生地は2層構造になっていて、表地は目の大きいメッシュ素材を用いている。
2003年のコンフェデレーションズカップでもこのユニフォームを使用。ニュージーランド戦では「青-青-青」の組合せが使われている。
この大会で中村俊輔は3得点を挙げ、得点ランキング3位に贈られる「ブロンズシューズ」を受賞。
ところでこの富士山モデル、じつはUK製の“海外版”が存在する。色々と仕様が異なるのだが、一番の大きな違いはエンブレムの仕様で、海外版は刺繍で仕上げている。「シールをペッタン」な国内版レプリカのエンブレムとは違い、この重厚さが良いと敢えて海外版を買うユニ・マニアもいた。
日本代表 2002-03 アウェイ ユニフォーム
白とグレーを基調としたカラーのアウェイ。それまでの代表ユニフォームには見られなかったパターンのモダンな配色だ。基本的には上から「白-青-白」の組合せを使用した。
中田浩二は2002W杯の全試合でフル出場を果たしている。
2002年W杯の日本代表ゴールシーンといえば、青のホームよりもアウェイのほうが印象深い。ベルギー戦での鈴木隆行の同点弾に、日本中が熱狂した。
2003年のコンフェデ杯では、上から「白-白-白」の組合せを使用。左袖には白黒の大会ロゴをプリントしていたが、同じadidasでもフランス代表は右袖にプリントするなど、取り付ける場所は統一されていなかった。
当時はハンブルガーSVに在籍していた高原直泰。コンフェデ杯は無得点に終わっている。
6月に行われたコンフェデ杯のグループステージ第3戦でコロンビア代表と対戦したが、0-1で敗れている。画像は中田英寿とマリオ・ジェペス。アウェイキットはこの試合が最後の使用となった。
トルシエ・ジャパンからジーコ・ジャパンへと受け継がれた富士山モデルは、A代表においては2003年で使用を終了。そして同年後半からは後継の「グラデーションモデル」が登場し、2004年のアジアカップでは死闘を演じることになる。