【著者の肖像】描く「朝鮮」との向き合い方 佐川光晴「日の出」

 兵役から逃れる道を選んだ主人公は、身を隠すように各地を転々としながら生きる。「徴兵逃れ」という負い目に耐えつつ、たくましく生きる彼は「いつか日の当たる場所に出るだろう」。その思いで書き進めた新刊の長編小説に、著者の佐川光晴は「日の出」(集英社・1728円)のタイトルをつけた。

 明治41(1908)年。石川・小松で、13歳の馬橋清作は徴兵逃れを画策する。従軍した日露戦争から帰還後に急死した、父親の二の舞いになることを恐れたが故の決断だった。やがて三つ上の先輩、浅間幸三郎の手引きで岡山・美作の鍛冶屋にかくまわれ腕を磨く。追っ手が迫り、筑豊の炭鉱地帯へ逃げた清作は、さらに川崎へと移る。

 清作を軸に展開する明治・大正編と並行して描かれるのが、清作のひ孫に当たるあさひを主人公とする現代編だ。中学校の社会科教師として歩み始めるあさひは、自身のルーツに関心を抱きつつ、目の前の仕事に誠実に向き合う。

 ここで曽祖父の生の歩みに触れるかと思いきや、清作の生涯を知る描写は出てこない。「血のつながりを特権化するような発想にはさせたくなかった」と佐川は言う。「ただ清作が死なずに生き延びたおかげであさひが存在する」。血縁に特別な意味付けはせず事実を淡々と描く一方で、二人には確かな共通点もあった。それは「朝鮮」の存在だ。

 浅間の先導で川崎の朝鮮人町にたどり着く清作は、やがて中華包丁を作りながら朝鮮人と暮らしを共にする。夫婦同然の愛情でつながった姜香里(カンヒャンリ)が響かせる歌声。商人洪丘庸(ホングヨン)と固く結ばれた信頼関係。「互いに人としての交わりを築いていくんです」。抑制の利いた筆致ながらも、出自を超えたつながりが実に温かく描かれる。

 あさひが社会科教師を志したきっかけは中学時代。国籍選択に関する問題を厳しい口調で訴え、同級生から「韓国に帰れ」と心ない言葉を浴びる在日コリアンの転校生との出会いだった。教師となってからも、教科書の領土問題の記述に納得がいかない韓国人の生徒の心情を冷静に受け止める。

 韓国併合後に大勢の朝鮮人が日本に渡った理由や、日本の植民地支配で過酷な状況に追い込まれた朝鮮人の姿など史実を忠実に記す一方で、本書は一国を断罪したり、戦争責任の問題や隣国との在るべき関係を声高に訴えたりしていない。

 「一つの正義を実現するために全員が協力するアクション映画のような筋立てではなく、長い時間をかけながら、それぞれの『朝鮮』と向き合っているんです」。結論の押しつけはせず、一人一人にも「個」の問題として朝鮮と向き合うよう、読み手を導いているようだ。

 「日の出」とは何の象徴か。日の光が目いっぱい清作を照らす後半場面、彼に込み上げる切ない胸の内もまた、読みどころの一つである。 

 さがわ・みつはる 1965年東京都生まれ、茅ケ崎育ち。小説に「生活の設計」、エッセーに「牛を屠(ほふ)る」「主夫になろうよ!」など。

「浅間幸三郎は僕の祖父がモデル。祖父を絡ませた小説をいつか書きたいと思っていた」

© 株式会社神奈川新聞社