『ののはな通信』三浦しをん著 最高強度の激情の応酬

 何から書き出したらいいのか、若干途方に暮れている。そこそこに分厚いこの一冊を、開いた瞬間から怒涛のように、私の中に流れ込んできたもの。それに言葉を付すことが、なんというか、どこか虚しいと思うからだ。

 物語は、「のの」こと野々原茜と、「はな」こと牧田はなが交わす、手紙とメールのみで構成されている。時は昭和の終わり。10代で意気投合した二人は、ある時は郵便で、ある時は教室内で級友の手を介して、膨大な量の言葉をやりとりする。毎日学校で会っているのに、語ることが尽きないふたり。ぎっしりと詰め込まれた文字のかたまりは、他者の立ち入りを許さない。そして「のの」が、「はな」に対する自分の気持ちが、友に対するものを遥かに超えていることに気づくところから、物語は本格始動する。「はな」がその思いを受け入れる。二人の思いはどんどん膨張する。愛情どころか崇拝すらし合いながら、第三者の立ち入りを徹底的に嫌う。やがて、「のの」が男性教諭と関係を持ったことが知れる。ショックを受ける「はな」。別れは、「はな」が心に決めた。

 第二章は、大学生になった「のの」に「はな」が書き送った手紙から始まる。最初は警戒する「のの」だったが、二人が距離を縮めるのに、そんなに時間はかからない。けれど「はな」が結婚を予定していることが知れて、今度は「のの」が、別れを切り出す。

 なんて頑強な、同時になんて脆い関係だろうか。愛も嫉妬も喜びも絶望も、まるで整理整頓されることなく、最高強度のまま、ごっちゃりと山になっている。突然あの日の嫉妬が蘇ったり、ああ言い過ぎたと後悔したり。

 40代に入り、外交官の妻として海外赴任している「はな」と、編集プロダクションを経営する「のの」によるメールのやりとりから成るのが第三章だ。「のの」は同窓会に出かけるけれど、「はな」のいないその会合から、虚しさだけを持ち帰る。彼女たちにとって、あの頃の感情の嵐は過去のものになっている。友人として言葉を交わす二人だが、次第にそれが「友人同士」ではなく、「かつて愛し合った友人同士」によるものへとスライドしていく。生きる世界があまりにもかけ離れてしまった二人は、相手の生き方に触れて「自分はこうありたいのだ」を痛感する。わたしは、あなたのようでありたい。そんな言葉が交わされるようになり、「はな」は自分で生きる人生を模索し始める。音信不通になった「はな」を東京で案じる「のの」。そんな折、東日本大震災が起こる。

 誤解と混乱と理解と許容を繰り返し、膨張し続けた二人の対話が、やがて、ある一点に着地する。「おしまい」でも「つづく」でもない、すれすれの塩梅の着地点。あなたがどこでどうなっても、わたしはあなたを受け入れる。そんな確信こそが人を支え、人を生かしているのである。

(KADOKAWA 1600円+税)=小川志津子

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