セネガルとW杯の16年…英雄の死、そしてベンチに座る「愛弟子」たち

グループステージ第1節でポーランド代表を2-1と撃破し、今大会でアフリカ勢としての初勝利をあげたセネガル。

アフリカの強豪国の一つとして知られるが、ワールドカップに出場したのはまだ2度目である。

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初出場は2002年に行われた日韓大会。ソウルで行われた開幕戦でディフェンディングチャンピオンのフランスに挑み、なんと1-0で勝利を収めた。

パペ・ブパ・ディオップが30分に値千金のゴールを決めたあと、コーナーフラッグ付近に置かれたユニフォームの周りで選手たちが踊る。そのチームには、キャプテンマークを巻いたアリュー・シセ(現セネガル代表監督)がいた。

この模様はまさに、かつてカメルーンやナイジェリアが感じさせた「アフリカ旋風」の復活を予期させるものだった。

そしてその時、セネガルを率いていたのはフランス人監督のブルーノ・メツ氏である。

アフリカ人の選手に対しても権威を振りかざすことなく、モチベーションを高める。選手を尊重した手法で新たな歴史を作った。

そして大会後にはセネガルの女性と結婚し、イスラム教へ改宗。アブドゥルカリーム・メツと改名もした。

その「英雄」メツ監督は、セネガルを離れたあと中東地域で指導を続けたが、2012年に引退を余儀なくされる。

アル・ワスルを解任されたあと、彼は結腸癌に侵されていることが分かったのだ。この時点ですでに肺と肝臓に転移しており、末期的な状況だったという。

余命は数ヶ月と診断されたが、故郷フランス北部の街で治療を受け、その期間を乗り切ることに成功する。だが2013年10月14日に、彼の戦いは終わりを告げた。家族に看取られながら、59歳という短い生涯を閉じた。

メツ氏の遺体は自身が愛するセネガルへと運ばれ、首都ダカールで葬儀が行われた。

そこに出席したのが、2002年ワールドカップで共に戦った選手たち、そして彼の下で主将を務めていたアリュー・シセだった。

アフリカ全土に勇気を与えた勝利から16年の時を経て、「愛弟子」アリュー・シセが空へと旅立った英雄の意思を継ぎ、監督としてW杯へと挑んでいる。

ポーランド戦で繰り広げられたのは、まさにブルーノ・メツがセネガルに持ち込んだフランス産のサッカーだった。

そのベンチには2002年の主将アリュー・シセ、守護神トニー・シルヴァ、そしてDFオマール・ダフが座っていた。コーディネーターとしてDFラミヌ・ディアッタが影から彼らを支えている。

アリュー・シセは、このワールドカップで指揮を執っている32名の監督の中で、最も低い報酬しか手にしていない。その額は年間2500万円程度だと言われている。

しかし、彼にはお金に替えることができないほどの支えを受けているはずだ。セネガルのみならず、アフリカ全土から。そして、空から見守るブルーノ・メツから…。

セネガルと日本が戦うグループステージ第2節は、日本時間24:00キックオフだ。

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