風外慧薫生誕450年を記念 小田原で秋に特別展、逸話も紹介

 小田原市内の洞窟で禅画を描いた禅僧、風外慧薫(ふうがいえくん)がことし生誕450年を迎える。これを記念した今秋の特別展開催に向けて、市郷土文化館(同市城内)は準備と調査を兼ね、風外の作品や関係する逸話を募っている。

 同館によると、風外は1568(永禄11)年に現在の群馬県安中市で生まれ、29歳で諸国修行の旅に出た。

 小田原を訪れたのは50代になってからといわれ、小田原市成田の成願寺の住職に。その3年後には寺から去り、市内にある上曽我や田島の洞窟で修行した。当時の資料には小田原藩主稲葉正則と交流があったとする伝説も残る。

 その名が広まると、風外は清貧な生活を邪魔されることを嫌い、真鶴へ移住。80代で現在の静岡県浜松市へ移り、その地で生き仏になったと伝えられる。

 風外の作品は、落款や署名、だるま絵などが平塚市博物館にまとめて寄贈されたり、小田原市内の寺院や個人で保管されたりしている。日本美術愛好家だった経営学者の故ピーター・ドラッカー氏が最初に求めた禅画としても知られる。

 一方で小田原市所蔵の作品はない。そこで同館は、ことし10月20日から松永記念館(同市板橋)で特別展を開催する前に、地域に残されている可能性がある風外の作品を募集している。

 また「禅画を描いて米と交換していた」「正月の餅つきの頃に集落に降りてきて、餅を食べていった」など、上曽我や国府津地区に逸話があるが、こうした話も紹介してほしいと呼び掛けている。

 問い合わせは市郷土文化館電話0465(23)1377。

風外作品「達磨(だるま)図」(平塚市博物館蔵、小田原市郷土文化館提供)

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