【特集】本田選手「敬礼ポーズ」に再注目! 運命のポーランド戦を前に

 

同点ゴールを決め、敬礼する本田選手(左)とシドニー五輪で銀メダルを獲得、兄にならって敬礼する永田選手(右)

 

 世界の大舞台で力を発揮、喜びの「敬礼ポーズ」が話題になった日本人アスリートは少なくとも2人いる。1人はサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会のセネガル戦で、同点ゴールを決めた本田圭佑選手。岡崎慎司選手と交わした3日前のパフォーマンスに、多くの人が拍手した。もう1人は18年前のシドニー五輪レスリング69キロ級で銀メダルを獲得した永田克彦選手だ。兄でプロレスラー永田裕志選手の“決めポーズ”をまねて、メダルを手にした「敬礼」も当時注目を集めた。「挙手」による敬礼は自衛隊や警察では訓令、規則などで厳密に定められた作法だが、スポーツ界はその限りではない。そう思って楽しんでもいいのだが、かすかに心に引っかかる。これを機会に敬礼パフォーマンスについて調べてみた。(共同通信=柴田友明) 

 舞台裏

  「圭佑が言ってきたので」。6月25日、セネガル戦で本田選手が同点を決めた直後、互いに敬礼したことについて岡崎選手は試合後、報道陣に舞台裏を語った。双方ともに予定していなかったが、3年前のアジア杯でゴールを決めた直後に2人で喜びを分かち合った時のパフォーマンスをその場で声を掛け、即興で再現したという。おどけた様子で目を見開いた本田選手の表情は紙面だけでなく、ネット上でも好意的に受け止められ、アジア杯での元祖、敬礼ポーズの動画もウェブサイトに掲載された。

 2000年シドニー五輪で、永田克彦選手がメダリストになったとき、筆者は現地取材班の1人だった。「I am proud of my son」。中学で英語を教えているという母親が観客席で息子の偉業をそう語り、周囲から祝福されたのを覚えている。当時、永田選手は警視庁警察官だったので本物の敬礼はできたはずだが、表彰台の上では兄裕志選手のように額の前に手のひらを水平にしてかざすポーズを取った。

  自衛隊とは違う

  そもそも敬礼とは何か。普段の活動にその作法が最も浸透している防衛省陸上幕僚監部に問い合わせた。自衛隊法施行規則に基づく1964年5月の「自衛隊の礼式に関する訓令」でその所作が定められている。挙手の敬礼は「右手をあげ手のひらを左下方に向け、人さし指を帽のひさしの右斜め前部にあて行う」と規定。「敬礼を受けたものは、答礼を行うものとする」、さらには「自衛官は、歩行中は、歩行のまま敬礼を行う。かけあし中は、通常歩行に移った後、敬礼を行う」と事細かくルールになっている。

 陸自の教範でも手のひらをやや下に向けると定めがあるといい、陸幕の広報担当者は「本田選手の敬礼は手のひらをやや上に向けており、(自衛隊とは)違います」とコメントした。

ポーランドのレバンドフスキ選手(ゲッティ=共同)

  ポーランドは2本指

  作法は多少分かった。では、敬礼の歴史的由来、本来の意味はどうなのか。「(残念ながら)自衛隊にはオーソライズされたものがありません。ただ諸説がありますので紹介します」。上記の広報担当者によると、西欧で騎士が活躍した時代に、上位の者にあいさつするとき、顔を覆った鉄かぶとの鎧戸を開けた所作がきっかけになったという説。額に右手を当てて、手のひらに武器を持っていないことを示したという説もある。そのマナーが礼式として定められ、近代日本では明治以降の軍隊編成で取り入れられたようだ。

 ちなみに、ネットで検索すると、ポーランドでは挙手の敬礼はタイプが違うようだ。右手の中指と人さし指だけを伸ばし、ほかの3本は握ったまま帽子の右側にあてる方式だ。

 話題になった敬礼ポーズだが、中世の騎士の作法に由来する説もあり、そのフォーマルさから他国のアスリートたちがあまりやらないような印象もある。もし今回のポーランド戦で本田選手が再びそのパフォーマンスを決めてくれたら、あらためて話題になるだろう。

警視庁蒲田署の一日署長に就任、敬礼のポーズを取るAKB48のメンバーのみなさん=2016年8月

© 一般社団法人共同通信社