「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産としての価値は、潜伏キリシタンが育んだ日本独特の信仰の形だ。
日本では17~19世紀にかけて、国家権力によってキリスト教が禁じられたが、信徒が潜伏して2世紀以上にわたり信仰を続けた。長崎と天草地方において潜伏したキリシタンは、禁じられていた信仰を隠すことで、他宗教や社会と共生する道を選んだ。
潜伏キリシタンは仏教徒や神道の氏子を装い、家の中に仏壇や神棚を置いた。禁教以前につくられた信徒組織が変化し、潜伏組織の役割を果たした。組織には、信仰生活の規範となる教会暦をつかさどる「帳方(ちょうかた)」、洗礼を授ける「水方(みずかた)」などの役職者がいて、洗礼やオラショ(祈り)、教理をひそかに伝承した。
家の中にはキリストや聖母マリアの聖画のほか、仏像を聖母に見立てた「マリア観音」、聖人や十字架を刻んだメダイ(メダル)などを隠し持ち、拝んだ。
オラショは地域で異なるが、禁教前に伝わった「パーテルノステル」「アベマリア」「ケレド」など多彩な祈りを口伝した。長崎の浦上と外海、五島では、キリストや聖母の像を踏まされた絵踏みの後、神に赦(ゆる)しを請う「コンチリサン」を唱えた。
葬式では、僧侶がお経を唱えている間、別の場所で「経消し」のオラショを唱えた。遺体は「西方浄土」にあえて背を向けたり、頭を南蛮の方角に向けたりして埋葬した。墓石は仏教式の石塔を避け、自然石を用いた素朴な墓碑を造った。