逗子独立運動の歴史語り継ぎ 戦中、横須賀に強制合併

 1950年7月に横須賀市から分離独立した逗子町(現逗子市)。その歴史を後世に伝えようと、独立運動の母体となった「逗子独立期成同盟会」副委員長だった山口茂さん(89)=逗子市桜山=の講演会が1日、同市市民交流センターで開かれた。

 「独立記念日」の7月1日に合わせて毎年開いている講演会。当時を知る山口さんの貴重な証言に市民ら約90人が熱心に耳を傾けた。

 逗子町は太平洋戦争中の1943年に「一大軍港都市建設」を目指す横須賀市に強制合併された。同町池子に海軍の大火薬庫があり、軍事上の指令を一本化する方針もあったとされる。山口さんは「町議会が反対しても、軍にはかなわない。『反対するとは非国民か』の一言で黙るしかなかった」と振り返った。

 戦後、国は合併された町村が住民の意思で分離できる法律を期限付きで公布。合併への不満や横須賀との住民サービス格差などから2度の独立運動が生まれるも、「横須賀との関係が強くなっていた地域の有力者らの賛同を得られなかった」(山口さん)。期限まで残り9カ月と迫った時、医師会や住民らが立ち上げたのが期成同盟会だった。

 横須賀市議会に反対されながらも、署名運動や住民投票、県議会の議決などを経て、分離独立を果たす。山口さんは、医師会が先んじて逗葉医師会として独立した流れを話し、5票差だった県議会の採決でも「鎌倉の松岡正二県議といった地域外の支援者にも恵まれていたことが良かった」と振り返った。

 来賓で駆け付けた平井竜一・逗子市長は「独立運動は逗子市の原点であり、“住民自治のDNA”ともいえる。語り継ぐ山口さんの活動に感謝したい。この歴史を次世代にしっかり伝えていきたい」と力を込めた。

逗子独立運動の歴史を話す山口さん=逗子市逗子

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