諏訪荘と富貴楼

 大正時代の豪商が贅(ぜい)を尽くして建てた和風邸宅が、長崎市の諏訪神社近くにあった。昭和に入り高級旅館「諏訪荘」として運営され、作家の丸谷才一が日本三大名旅館の一つに挙げたこともあるとか▲この建物が解体され、跡地に高層マンションが建つという話が飛び込んできたのは1984年。貴重な建築と周辺景観を守ろうと、大きな市民運動が起こった。紆余(うよ)曲折の末、マンション計画は中止。諏訪荘は諏訪神社境内に移築された▲今は神社の斎館として結婚式の控室などに使われる。座敷をぐるりと囲む広縁や繊細な欄間の細工などが昔の風情をしのばせる▲そこから5分ほど歩いた街角では、国登録有形文化財だった老舗料亭「富貴(ふうき)楼」の解体工事が進む。老朽化による解体方針が報じられた今年4月以降、市民から保存を望む声が次々と上がったが、遅すぎたようだ。経営者にとって維持管理は長年の重荷だったという▲同じように存続の危機を迎えながら、命運を分けた諏訪荘と富貴楼。時が経過するうちに歴史的建物に対する関心が低下したわけではないだろうが▲街のシンボルとして守るべき歴史的建物は、まだ各地に残る。それらがずっとそこにたたずんでいてくれることを望むなら、日頃から意識して目配りしておくことが大切なのだと思う。(泉)

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