1996年に歌丸さんに入門した弟子の桂枝太郎さん(40)=横浜市在住=は「師匠は努力の人。『生きている間は苦しい思いをしろ、いつかは楽になるから、それは目をつぶった時かもしれない』といつも言っていました。ずっと落語と病気と、闘っていた姿を間近で見てきました。自宅に伺うと、3階からいつもぶつぶつと落語を稽古する声が聞こえてきました。師匠は身をもって努力することを教えてくれた。やっと楽になったんだと思う。安らかに眠ってほしいです」と話した。
自宅を弔問した落語家の三笑亭夢太朗さん(69)は「50年ほど後輩としてお付き合いさせていただいた。雲の上の人というんじゃなくて、どこか手が届きそうな親しみやすい人だった。落語家の間では『歌丸師匠の趣味は入院だ』なんて冗談を言い合っていたので、みんな今度もきっと戻ってくるだろうと思っていた」と静かに語った。
館長を務めていた横浜にぎわい座(横浜市中区)のチーフプロデューサー・布目英一さん(57)は「体調が悪くても舞台に立ち続けたのは、後輩たちに話芸の手本を伝える役目があると、自負していたからだと思う」。黒岩祐治知事と横浜市の林文子市長も追悼のコメントを出した。