潜伏キリシタン遺産、登録運動の陰に1冊の写真集 建築写真家・故三沢さん「苦難の歴史を後世に」

 世界文化遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本の12資産)の登録運動が始まった陰には、一冊の写真集があった。2009年に64歳で死去した建築写真家、三沢博昭さんは、キリシタンの苦難の歴史を後世に伝えようと、長崎県内各地の教会を訪ね歩いてシャッターを切り続けた。
 三沢さんは北海道出身。国内外で活躍していた1970年代半ば、日本建築学会の調査対象になっていた大野教会堂(長崎市下大野町)の撮影に赴いた。機材を車に積み、東京から3日がかりで現地へ。近くの出津教会堂と黒崎教会にも足を運んだ。教会の背景にある信仰心や歴史に触れ、長崎の教会群にのめり込んでいった。
 以来、時間ができるたびに古い教会を目指して長崎を訪れるようになった。2000年、約40棟の教会を収めた集大成の写真集「大いなる遺産 長崎の教会」(智書房)を出版した。これを機に同年、五島市で全国の建築関係者約200人が集う学会が開かれた。「長崎の教会群を世界遺産にしよう」。夜の懇親会で初めて声が上がった。
 1995年に世界文化遺産に登録された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(岐阜、富山)も撮影していた三沢さん。妻の岩波智代子さん(69)=東京在住、浦上キリシタン資料館長=によると、三沢さんは白川郷などが観光地化していく姿を憂い、「長崎の教会はそうあってほしくない」と口にしていたという。
 教会撮影に何度も同行した智代子さんは、撮影時の様子を鮮明に覚えている。到着すると、まずはごみ拾い。教会の周囲をぐるりと回って構図を決め、自然光で建物が美しく照らされる瞬間をじっと待った。その姿は、教会を建てた人たちと会話しているようだった。智代子さんは「ただ教会を撮るのではなく、信徒の思いを後世にしっかりつないでいかなければ、と考えていた」としのぶ。
 03年、三沢さんに舌がんが見つかり、手術して声を失ったが、教会撮影への情熱は衰えなかった。07年に江袋教会(新上五島町)が火災で全焼した際も「壊れてから分かることがある」と、火災から半年後の姿をカメラに収めた。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関から「禁教期に焦点を当てるべきだ」と指摘され、教会群は迫害の中で信仰をつないだ人々に光を当てる「潜伏キリシタン遺産」に生まれ変わった。智代子さんは「教会建築の背景にある物語を重視していたのは夫も同じ。登録を機に、夫のことも思い出してもらえれば」と願っている。

写真撮影中の三沢さん(2004年12月、岩波智代子さん提供)
三沢さんの写真集「大いなる遺産 長崎の教会」

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