小説、映画「沈黙」を読み解く 文学館で「遠藤周作を偲ぶ一日」 モキチ役の塚本さんらトーク

 長崎県長崎市東出津町の遠藤周作文学館で、トークイベントがあり、1月に公開された映画「沈黙-サイレンス-」でモキチを演じた俳優の塚本晋也さん、「三田文学」の元編集長で批評家の若松英輔さん、ノートルダム清心女子大教授の山根道公さんが登壇。映画制作の裏話を披露するとともに、遠藤周作の原作小説と映画に込められた深いテーマを読み解いた。

 遠藤文学研究の第一人者である山根さんを進行役に、まず映画の感想をそれぞれ語った。若松さんは、「自分の小説の読み方がいかに雑で浅かったのかを突き付けられた。久々に言葉を失った」と告白。タイトルについて、「モキチをはじめとした語らざる者たちの“沈黙”だったと初めて気が付いた。言語で表現できないことを見事に表現している」と賛辞を贈った。

 原作を読んで撮影に臨んだという塚本さんは、「最初にシナリオを渡された時は、マーティン・スコセッシ監督が原作のことを相当尊敬していて、近づきたいという思いが強くあるように感じた。完成した作品は、後半は割と混沌(こんとん)として巨大なアート作品のように見える」と語った。

 映画では、音楽は自然の音を中心に抑制されている。自身も映画監督として多くの作品を手掛けている塚本さんは、「音楽で、登場人物への共感を促すといった狙いや作為をはっきり伝えることができる」と説明。「それをしないのは、神様の目線で映画を作り、判断はお客さんに任せるという狙いを感じる」と述べた。

 映画の制作を巡っては、構想から完成まで28年もかかったという。若松さんは「作品には時の力が必要。無為に過ごしていたように見えるが、それが見えない形で映画を作っていった」と指摘。「『沈黙』は時代小説ではなく現代小説。江戸時代を舞台にするからこそ、より我々の問題として見ることができる」と映像化の意義を語った。

 塚本さんが演じたモキチは、踏み絵を拒んで壮絶な最期を迎える。逆に何度も踏んでしまうキチジローに共感するという塚本さんは、モキチの役作りについて「キリスト教が初期は良いとされていたのに、上の事情が変わっただけで弾圧される。その不条理な世界が、今と非常に近い感じがした。現代の不安感や子どもたちの未来を考えるだけで、わなわなとモキチの気持ちになれた」と明かした。

 イベントは、遠藤の命日(1996年9月29日)に合わせ、同館が毎年開いている「遠藤周作を偲ぶ一日」として開催。75人が参加した。

「沈黙」について語り合う(左から)若松さん、塚本さん、山根さん=長崎県長崎市、遠藤周作文学館

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