F1 Topic:2年前のシルバーストンで九死に一生を得ていたガスリー家

 F1イギリスGPが開催されているシルバーストンのパドックにピエール・ガスリーの両親がいた。ガスリー家がシルバーストンに集うのは、2年ぶりのこと。ガスリーによれば、「いつものグランプリとは違い、少し複雑な気分だ」という。

 理由は2年前の2016年、ガスリーがGP2に参戦していたときのこと。両親と一緒にシルバーストンへ向かう最中に大事故に遭い、母親が重症となったからだ。いきなり母親のバルカルさん話を聞くのは失礼かと思い、父親のジャンジャックさんに、事実確認をしようと、その件について尋ねると、ジャンジャックさんが「パスカル、こっちへ来てよ。コイツが事故の話を聞きたいんだって」と言い出し、少し慌てたが、パスカルさんは笑顔で答えてくれた。

「運転していたのはピエールのトレーナーで、助手席に夫が乗り、私とピエールは後部座席に座っていました。一般道を走っていると前方の路肩にハザードを点滅させて停車している車が1台いて、私たちはその車の横を通り過ぎようとしたとき、その車が突然、Uターンしたんです」

 ガスリーを乗せた車はUターンした車に衝突し、反対車線を横切って土手を落下。車は仰向けにひっくり返ってしまう。車の屋根がへこみ、後部座席にいたバスカルさんは背骨や肋骨、そして脚の骨を骨折。背骨は7カ所も骨折する重症だった。すぐさま病院に運ばれ、集中治療室で2週間過ごすこととなる。

 一方、同じ後部座席に座っていたガスリーも背骨に2カ所ヒビが入っていたものの、事故の直後はそれに気づかず、レースに出場。GP2で初優勝を果たした。

 なぜ、母親のパスカルさんが重傷を負ったのに、ガスリーはヒビだけで済んだのか。父親のジャンジャックさんは次のように説明した。

「本人はもちろん、ピエールも事故の直後の記憶はほとんどないんだが、事故の現場を見た救急隊によれば、発見されたときパスカルはピエールを覆いかぶさるような状態だった」という。

 へこんだ屋根の衝撃を自分の背中で吸収したパスカルさんの背骨(脊椎)は7カ所に渡って粉砕骨折。イギリスの病院での懸命な治療により、生命の危機を脱出したパスカルさんは2週間後、フランスの病院に移り、約2カ月間、入院生活を余儀なくされた。

「これを見てください」と自分の携帯を差し出すと、そこには背骨を固定するチタニウム合金が写し出されたX線写真の画像があった。パスカルさんはいまも背中の痛みを和らげるため、毎日複数の薬を服用しているが、後遺症に悩んでいるようなそぶりはいっさい見せない。それは、ガスリーに余計な心配をかけないためだ。

 今年、2年ぶりにイギリスを訪れたガスリー一家。さまざまな思いと感情が入り混じる中で、グランプリ初日を終えた。

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