「海の関所」解明に期待 浦賀奉行所跡地で出土 石や瓦、陶磁器破片も

 開設から約150年にわたり、江戸湾を防備するなどの役割を担った「浦賀奉行所」。横須賀市がその跡地(同市西浦賀)を5、6月に試掘調査したところ、建物の基礎に使われたとみられる石や瓦の一部、陶磁器の破片などが出土した。市は2019年度に本格的に調査する予定で、関係者らは「これまで江戸時代に描かれた絵図でしか確認できなかった奉行所の全容解明につながる」と期待を寄せている。

 奉行所は1720(亨保5)年に開設。「海の関所」として江戸に出入りする船舶を取り締まり、19世紀には外国船から江戸を防備する役割も担った。

 跡地には住友重機械工業(東京都品川区)所有の社宅が整備されていたが、同社が解体、撤去した上で、市に無償で寄付。これまで学術的な発掘調査は行われておらず、市有地になったことを機に、市は初の調査に踏み切った。

 試掘調査は5月21日から6月8日にかけて実施。16カ所を掘り起こし、約6700平方メートルの約1・5%を調査した。その結果、江戸時代のものとみられる瓦の一部や陶磁器の破片、建物の基礎に使われたとみられる石など計約500点が出土した。

 出土品について、市生涯学習課は「奉行所の屋根が絵図に描かれた通り、瓦ぶきだった可能性が高まった」「基礎の石がさらに見つかれば、建物の配置が明らかになる」と説明する。

 さらに、江戸時代に浦賀港の灯台の役割を果たした「燈明(とうみょう)堂」の跡地から出土した瓦と同じ記号が刻まれた瓦や、明治以降に造られたれんがも見つかった。瓦について「幕府が建て、維持管理した燈明堂と奉行所のつながりがうかがえる」と担当者。明治初期に奉行所が解体されてから別の社宅が整備された昭和初期までの間の跡地の利用方法が不明で、「れんがはその謎をひもとくヒントになる」という。

 くしくも2020年は開設300年の節目の年に当たり、地元では復元を求める声が高まっている。復元協議会会長で郷土史家の山本詔一さんは「跡地を史跡として保存する重要性が調査で浮き彫りになった。江戸を守る拠点として横須賀がどう位置付けられていたか、今後の調査で明らかになることを期待したい」と話している。出土品のうち14点を7月13日まで、同課のカウンターで展示する。問い合わせは同課電話046(822)8484。

試掘調査で浦賀奉行所跡地から出土した瓦の一部や陶磁器の破片 =市生涯学習課

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