「何があっても生き延びて」 石巻の被災者、横浜で講演

 東日本大震災の経験や教訓を学ぶ講演会が15日、横浜市中区であった。宮城県石巻市で津波に襲われた佐藤麻紀さん(46)が母と祖母を失った悲しみを涙ながらに語り、「今日は皆さんに小さな種を渡した。大事な人の前でまき、何があっても生き延びて再会しようと約束してほしい」と命を守る大切さを訴えた。

 震災当時、海辺の石巻市雄勝町に住んでいた佐藤さんは、勤め先のスーパーで激しい揺れに遭遇。津波が押し寄せる中、小学6年生だった長女と同3年の長男、地元の人々と高台から山へと逃れた。一命を取り留めたものの、市内の病院に入院していた祖母と迎えに行った母を亡くした。

 「津波来っから、山さ逃げて」。わが子を迎えに行った小学校や地元で、そう声をからして呼び掛け続けたのは、祖母から何度も聞かされていた過去の津波の体験談が原点だった。

 避難のため一夜を明かした火葬場で母の死を告げられた時は「(直前まで一緒にいた)父を責めてしまった」。遺体安置所に何度も通って母を捜し続け、「人の気持ちなんてなくしていた」と苦難の日々を振り返った佐藤さん。「どこに避難するか、そこが駄目なら次はどこに避難するか、家族や大切な人と話し合って」と呼び掛けた。

 講演会ではほかに、福島原発被害者支援かながわ弁護団事務局長の黒澤知弘弁護士が震災いじめの問題を報告。「原発事故や被害の構造、そして被害者の立場や心情を知ってほしい」と強調し、黙認や傍観する姿勢にも問題があると問い掛けた。

 講演会を主催した「震災復興支援を図る学生の会」会長の関本椎菜さん(18)は「自分だったら耐えられないと思いながら、佐藤さんの話を聞いた。生の声を聞くことは大切」と話した。

身ぶりを交え、津波避難時の緊迫した状況を語る佐藤麻紀さん=横浜市中区の市開港記念会館

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