【特集】中川元死刑囚 最期の「VX殺人」論文

教祖「死刑執行」が残したもの(3)

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現代化学8月号の表紙(左)と中川智正元死刑囚(右)

 オウム真理教元幹部の中川智正元死刑囚が7月6日の刑執行前に書き上げていた論文が専門誌「現代化学」(8月号)に掲載された。昨年2月に北朝鮮の金正男氏がVXで暗殺された事件の資料をベースに考察した内容で、中川元死刑囚にとって最期の論文となった。

 同誌は掲載理由について「本稿は、かつて新興宗教団体であるオウム真理教に所属しVXを扱ったことのある中川智正元死刑囚が、金氏の暗殺事件について個人の見解をまとめたものである。推測の域を出ない記述もあるが、VXを扱った経験のある中川氏が科学的に事件を検討した貴重な記録であるため、そのまま掲載した」(現代化学編集グループ)としている。筆者はその論文を読んでみた。(共同通信=柴田友明)

 「合理的な犯行」

 タイトルは「オウム死刑囚が見た金正男氏殺害事件 VXを素手で扱った実行犯はなぜ無事だったのか」。論文の冒頭と末尾に、オウム真理教による一連の事件の犠牲者、遺族らに「心からのおわびを重ねて申し上げます」などと謝罪の言葉が書かれていた。

 金正男氏暗殺事件での、VXの「使用形態」についてVX塩酸塩という物質の水溶液であったと、中川元死刑囚は推察している。目に入った薬物が鼻孔を経て鼻粘膜から吸収されて「速やかに全身循環に到達して…体内に吸収されたVX塩酸塩はVXとして働き、その毒性や症状はVXとまったく変わらない」と記載した。VX塩酸塩の水溶液は皮膚から吸収されず、このため実行犯の女性や金氏を手当てした医療助手は無事だったのであろうとしている。

 「少なくとも指示役は、VX塩酸塩の使用やそれを目に入れる必要性を理解していた…本件は素手で液体を被害者の顔や目に塗るという一見乱暴な犯行であったが、VX塩酸塩の使用を前提とするとそれなりに合理的な犯行であった」と論文で考察している。

暗殺された金正男氏=2001年5月撮影

 「自分のしたことへの結果」

 中川元死刑囚はこうした手口について触れた上で、犯行薬物が生成される前の段階の物質「前駆体」が何であったかも推定している。

 さらに、オウム真理教によるVX事件の2つの事例を出して、金氏暗殺事件との犯行方法の違いを明確にしようと試みている。筆者が論文から感じたのはVX使用の事件について「科学者の目」で突き止めようとしている強い意思だ。

 中川元死刑囚は近年、オウム真理教による事件の研究者と定期的に交流してきた。毒物学を専攻するアンソニー・トゥー米コロラド州立大名誉教授と意見交換して、昨年2月の金氏暗殺事件について共同で論文も発表してきた。

 坂本堤弁護士一家殺害事件では、長男龍彦ちゃん(当時1歳)を自ら手に掛け、地下鉄サリン事件でもサリンを生成するのに重要な役割を果たしてきた。

 教団の一員として事件にかかわったことへの深い悔悟の気持ちから米国のテロ研究に協力するなど、「こんな事件を二度と起こしてはならない」と再発防止について自ら考えを発信してきた。

 執行があった7月6日は、刑務官が両腕を取ろうとするのを制止して、「自分で歩いていく」。用意された菓子や果物には手を付けず、お茶を二杯飲んで、こう語ったとされる。

 「自分のことについてはだれも恨まず、自分のしたことの結果だと考えている」

刑が執行された広島拘置所=2018年7月6日