プロ野球中日の松坂大輔投手の復活が、野球人の心を打っている。
右肩の故障と闘いながら、今年1月に入団テストを経て入団。調整を重ね、本拠地開幕カードの4月5日の巨人戦で2季ぶりに公式戦登板を果たし、同30日のDeNA戦では日本球界で12季ぶりの白星を挙げた。
さらに5月20日の阪神戦で2勝目、6月8日のソフトバンク戦で3勝目…。マウンドに「怪物」が帰ってきた。
3月のオープン戦あたりから他球団の担当記者に「いつ松坂は投げるの?」「この日は投げないの?」といったことを頻繁に聞かれた。
2007年から米国に渡り、2015年に日本に戻ってからはほとんど試合で投げていなかったため、生で松坂のピッチングを見た若手記者は少ない。
小学生、中学生、高校生だった頃にテレビで見たあの「平成の怪物」の投球を記者たちも間近で見たいのだ。
筆者も昨年11月に、担当する中日に来るかもしれないと聞いた時は、身震いして興奮し「目に焼き付けたい」と思った。
ブルペンに入っただけで黒山の人だかりができる。他の選手も見に来る。絵になる。そんな投手は、そうそういない。
同じ中日の20歳の3年目、小笠原慎之介投手が「松坂さんの投げているところ、ずっと見てられますよ」と思わず漏らし、目を輝かせていたのが印象的だった。
春季キャンプでは、取材陣がその一挙手一投足を追った。記者もファンも、そしてチームメートになった中日の選手もワクワクする毎日だった。
ただ、ずっとメディアに追いかけ回される本人は随分うっとうしかっただろうなと思う。
キャンプ後にインタビュー取材した際の雑談で、マスコミに追いかけられることの苦しさについて聞いたことがある。
春夏連覇を成し遂げ横浜高から鳴り物入りで西武に入団した1999年の取材はもっとすさまじかったという。
登板日は、NHKと4系列の民放が夕方から夜にかけてのニュース枠で生中継するなど社会現象になっていた。
「常に見られている気はしていた。寮やホテルにいる時がリラックスできる時間で、ひたすらゲームばかりやっていた。今考えるとそれが気分転換になっていたのかな」と当時を振り返って笑っていた。
筆者は、前職で取材対象だった、ある芸能人の自宅の前に数週間、朝から晩まで一日中張り込むという生活をしたことがある。
だからというわけではないが、そういう過熱した取材を受ける大変さというのが、分かるような気がする。
抜群の注目度と圧倒的な実績を誇る松坂も当然、過去にはそのような取材を受けたことが幾度となくあったことだろう。
高校時代から数え切れないほどの、取材やインタビューを受けてきて、それでも嫌な顔を見せずに質問に対して真剣に一つ一つ考えながら、真摯に丁寧に取材に応じる人柄と傲慢になることのない態度。それもまた、松坂が人を惹きつける一つの要素でもあるのだろう。
4月30日、長いトンネルを抜け、ようやく勝ち星を手にした松坂は「長かったですね。もっと早く勝ちたかった」と笑顔で言った。
森繁和監督に続投を志願して6回、114球を投げ抜いた。手にはウイニングボールがしっかりと握られていた。
河部 信貴(かわべ・のぶたか)プロフィル
早大卒業後、スポーツ新聞社で芸能・社会などを担当。2011年8月に共同通信社に転職。大阪社会部、岐阜支局を経て、15年5月から名古屋運動部でプロ野球中日を取材している。愛知県出身。