【やまゆり2年】ダウン症の娘持つ社会学者、被告と面会し手紙

【やまゆり園事件取材班=石川泰大、川島秀宜】相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件から26日で2年。和光大学名誉教授(社会学)の最首悟さん(81)=横浜市旭区=が、植松聖被告(28)に手紙を書いた。重度の知的障害がある娘を持つ父親から、障害者への差別や偏見が根強く残る社会へ宛てたメッセージだ。 

 〈社会の現状に対する抗議でないとはいえません。世迷い言として無視するわけにはいきません。では、わたしはどうか。本当のところ、わからないのです〉

 7月中旬。早朝の薄暗い部屋にキーボードをたたく乾いた音が響く。パソコンの画面に次々と浮かび上がる文字。最首さんは手をつけずにいた手紙の返事にようやく取りかかった。

 最首さんのもとに封書が届いたのは4月27日。丁寧に書かれた宛名。2枚の便箋の右下には、検閲済みの「〇」の判子(はんこ)が押されていた。封筒の裏側の差出人名に「植松聖」とあった。

 〈突然の手紙を失礼致します。「妄信」(朝日新聞出版)や神奈川新聞の記事から最首さんのお考えを拝読させていただきましたが、現実を認識しつつも問題解決を目指していないよう映ります〉

 同居しているダウン症で知的障害がある三女の星子さん(41)を念頭に置いてか、こうも記されていた。

 〈心失者と言われても家族として過ごしてきたのですから情が移るのも当然です。最首さんの立場は本当に酷な位置にあると思いますが、それを受け入れることもできません〉

 事件直後から「障害者は不幸を作ることしかできない」「人の心を失った“心失者”は安楽死させるべき」などと自らを正当化する主張を続ける植松被告。丁寧な言葉遣いでつづられた文面とは裏腹に、不幸を生み出す重度障害者をなぜ育てているのかと問い詰めるような内容だった。

 7月6日午前11時すぎ。最首さんは立川拘置所(東京都立川市)の面会室にいた。45人を殺傷した被告はどんな人物か、「心失者」とはどのような概念か、返事を書く前に会って直接確かめようと思った。

 「本日は遠くまでご足労いただき、ありがとうございます」。目の前に現れた植松被告は小柄な体をくの字に折り曲げ、深く頭を下げた。緊張した様子でうつむく姿に、想像していたふてぶてしさはなく、気弱そうに見えた。

 手紙の真意について尋ねると、植松被告は淡々と答えた。「意思疎通の取れない娘を擁護するのは親としては無理もないが、大学で指導する立場だったら何とかしていただきたい」

 やりとりは少なく、途切れ途切れの問答が続く。

 植松被告がふいに語気を強めたのは、最首さんが障害のある娘との暮らしは「大変なことではない」と語り掛けた時だった。

 「勘弁してほしい。意思疎通ができないのは、人間としての責任を放棄している。受け入れられない」

 30分間の面会を終えて確信した。植松被告は精神障害でも薬物中毒でもなく、正気だった、と。「社会にとって正しいことをし、多くの人に受け入れられると信じているのだろう」

 事件後、インターネットの掲示板やツイッターには「正論だ」「障害者はいらない」といった被告の主張に同調する投稿があふれた。その状況は今も変わらず、静かに増殖を続ける。

 植松被告は多くの人の潜在意識にある前衛として出るべくして出てきた、と最首さんは考えている。「日本社会には『働かざる者、食うべからず』という、生産能力の低い者を排除する風潮がある。植松被告のような考えを心に持つ人は社会の圧倒的な多数派だ」

 娘の星子さんは言葉を話すことができない。食事にも排せつにも介助が必要だ。障害者への差別や偏見が助長しかねない今だからこそ、学者として、障害のある娘を持つ父親として、伝えたい思いがある。

 「表には出ない心を誰もが持っている。星子もそう。分からないから分かりたい。分からないからこそ、次に何が起きるだろうという期待や希望が湧く。心失者なんていない」

 面会から1週間。最首さんは植松被告に手紙を出した。私信ではない。返事がくるか分からないが、書き続けるつもりでいる。植松被告と、被告の考えに同調する人たちに向けて。手紙の最後に、こうつづった。

 〈人にはどんなにしても、決してわからないことがある。そのことが腑に落ちると、人は穏やかなやさしさに包まれるのではないか〉

■最首さん被告と接見「心は失われない」

 ひとは、心を失い得るのか-。植松聖被告(28)と立川拘置所で対峙(たいじ)した最首悟さん(81)は、「心失者」の存在を粛然と否定した。ダウン症の三女、星子さん(41)を思いながら。

 待合室のテレビは、オウム真理教の7人の死刑執行を速報していた。最首さんは面会室の中央に腰掛け、植松被告を静かに待った。神奈川新聞記者が立ち会った。

植松 きょうは、すみません。遠いところからご足労いただき、ありがとうございます。

 長髪を結わえた被告は入室するや、深々と一礼した。アクリル板が隔てる4畳ほどの空間。2人は手が届きそうな間合いで向かい合う。最首さんは、着座したまま会釈した。

 被告はなぜ、万事を容易に「わかる」のか-。最首さんが面会を望んだのは、その疑問からだった。例えば、私信につづられたこの断定。〈人間として生きるためには、人間として死ぬ必要があります〉。まず、記者が真意を聞いた。

植松 糞尿(ふんにょう)を漏らしてしまい、意思疎通できないのは、人間として責任を放棄していると思うんですよ。人間なら、自分のことは自分でやる義務がある。

 答えはまた、「わかる」から導かれた。最首さんは、ほほ笑み、沈黙を破った。

最首 私の学びのゴールは、人間にはどのようにしてもわからないことがある、ということを認めることなんですね。わかったと思えば、いっぱい「わからない」が増えてくる。

 星子さんとの生活が、念頭にあった。その日常は「わからない」の連続という。だから、もっと知りたい、わかり合いたい-。

最首 星子との暮らしは、大変じゃない。一緒に暮らせないと思ったら、施設に預けています。

 被告は、苦笑しているように見えた。

植松 自分の人生を否定したくないのが人間なんだと思います。大変だよ、と言えない。やっぱり、(重度障害者の子どもを)家で育てちゃいけないんですよ。一緒に生活したら、情が湧きますよね。

 被告が反問する。ベッドに縛り付けられ、糞尿を漏らしてまで、自分は生きたいか、と。

最首 答えられない、わからない。意思疎通が取れなくなったら、気持ちは誰にもわからない。前もって死ななきゃいけないと言い聞かすのは、未来の私に対する節度と配慮を欠いている。

 被告は首をかしげる。持説はかたくなだった。

植松 誰でも死にたくない。本能的に怖いですよね。でも、それを言っちゃうと、社会が成り立たない。オランダやオーストラリア(の一部の州)では、安楽死、尊厳死が認められています。死を受け入れるべきだ。

 時計は正午を指そうとしている。刑務官が残り5分と告げた。ひとは心を失い得るか、それぞれに記者は尋ねた。

植松 はい。断言できる。

最首 心がないのは、物、物質です。心は、失われない。

 最首さんの表情は終始、穏やかだった。面会前の「わからなさ」は一層、募った。いつものように。

最首 まず、手紙の返事を書きます。

知的障害がある娘の星子さんの口に飲み物が入ったグラスを運ぶ最首さん(左)=横浜市旭区

© 株式会社神奈川新聞社