佐世保小6女児同級生殺害 14年 教師はもっと「子どもと向き合う時間を」   事件直後の6年担任

 あのときの教訓は本当に生かされているのか-。2004年に佐世保市立大久保小で起きた小6女児同級生殺害事件から6月1日で14年。事件の約1カ月後に赴任し、6年当該クラスの担任になっ男性教諭(58)は、悩み苦しみながら児童と向き合った。来年度末で定年退職。風化が懸念される中、危機感を募らせている。

事件後に6年生と過ごした日々を振り返る男性教諭。「子どもと向き合う時間を増やすべき」と訴える=佐世保市の自宅

 当時は大村市の県教育センターに勤務していた。佐世保は生まれ故郷。「こんな事件が地元で起こるなんて…」。ヘリコプターが飛ぶ学校の様子をテレビで見ながら、悶々(もんもん)とした日々を過ごしていた。
 「大久保小に行ってほしい」。6月下旬、所長室で突然担任になるよう告げられた。「何かできるとは思わなかった。ただ、苦しんでいる子どもたちの力になりたかった」
 7月7日に赴任。学校に来られない子ども、保健室にいる子どもが多く、教室はすかすかだった。何をしても元気がなく、外は報道陣のカメラが並んでいるため、思い切り遊ぶこともできない。登下校中には知らない大人に話し掛けられ、おびえていた。
 しかし遠慮はしなかった。生活態度が悪いときには厳しくしかった。「腫れ物に触るように接する人もいたが、それでは育たない」。信念を持って真正面から向き合った。
 「不信感でいっぱいの子どもたちに、もっと堂々と生きてほしい」。そのために目標が必要だと思った。何か夢中になれることはないか-。そのとき「よさこい」を思い付いた。
 YOSAKOIさせぼ祭りへの出場が決まってから、子どもたちは変わった。1週間で踊りをマスター。夏休みには、授業の遅れを取り戻す補習を受けながら、練習に打ち込んだ。教室には、笑顔が戻った。
 それからも、一日一日、必死に乗り越えてきた。卒業の日には、率直な思いを伝えた。「平穏無事に生きてほしい」
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 14年がたっても、ふとした瞬間に当時を思い出す。「まだ引きずっている子どももいると思うが、今を大事にしてほしい」
 事件後、風化を防ぐために6月1日は「いのちを見つめる日」とされ、各校で集会が開かれる。児童の情報を記録し、教員間で引き継ぐシステムも構築された。必要だとは思う。ただ「形式的なものにどれだけ意味があるのか。教員の負担が増え、子どもと向き合う時間が減っていないか」との疑問はぬぐえない。
 現在は市立花高小の通級指導教室で言語障害のある児童の指導に当たる。いじめなどの被害者にならないよう、コミュニケーションを密にしている。
 「しっかり子どもと向き合い、肌のぬくもり、息遣いを感じながら話す。それが、あの日得た教訓だったはずだ」

◎小6女児同級生殺害事件

 2004年6月1日、佐世保市立大久保小の学習ルームで小学6年の女児=当時(12)=が、同級生の女児=当時(11)=にカッターナイフで切りつけられて死亡。加害女児は9月、児童自立支援施設「国立きぬ川学院」(栃木県)に入所。更生に向けた教育を受けた後、社会復帰した。

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