【やまゆり園事件2年】「障害者は特別な存在ではない」 福祉職の若者「人柄知れば楽しい」

 相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で45人が殺傷された事件から26日で2年。社会を震撼(しんかん)させた事件にひるむことなく、今も多くの若者が福祉の道を志す。現場に立ち、日々悩みながらも学びを深め、そして確信を強める。「障害者は特別な存在ではない。ましてや心を失ってなどいない」

 今春、泉野真理さん(22)は県立保健福祉大学(横須賀市)を卒業し、川崎市社会福祉事業団に職を得た。勤務先は障害者施設の市柿生学園(同市麻生区)。重度の知的障害者の入所施設だ。

 介助職に就いて4カ月弱。若くとも、不規則な勤務体系に疲労がたまる。夜勤は月3、4回を数え、1人で15、16人の入所者を担当する。休憩時間もままならないまま朝を迎え、「睡眠不足で入所者の起床対応をするのが大変」と打ち明ける。言葉での意思疎通が困難な入所者とも接するが、「あいさつをしても返してもらえず、心が折れそうになったこともある」。

 それでも踏ん張るのは、フィリピン訪問時の経験が原点だ。物乞いをする子どもたちの姿が目に焼き付いて離れない。自分でも何かできないかと考え、貧困や福祉を学ぼうと同大に進んだ。

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 同級生だった楜沢日南子さん(22)は、事故や病気で障害者となった人々の自立訓練に携わる。泉野さん同様、事業団運営の市れいんぼう川崎(同市宮前区)に勤める。

 多くの利用者は健常者だった頃と現在の境遇の違いに思い悩み、ふさぎ込む。「自分よりも年上で、人となりを知らない利用者にどう接したらいいか戸惑うこともある」。それでも、求めに応じることができたときに利用者が浮かべる笑顔が力となる。

 楜沢さんには、福祉の世界は身近だった。学生時代、近所で1人暮らしの祖父を父親が介護していた。患者が安心して治療に専念できるよう支援する医療ソーシャルワーカーの存在を知り、専門的に学べる同大を志望した。

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 泉野さんと楜沢さんが本格的に障害者と接したのは、同大保健福祉学部の臼井正樹教授(社会福祉学)のゼミだ。泉野さんは3年時からグループホームでアルバイトをするようになった。障害者との接し方が分からず避けていたが、健常者と変わらないと気付いた。

 2人は殺傷事件をテレビ報道で知ったが、障害者福祉に身を置くとの思いは揺らがなかった。周囲にも進路変更を考える学生はいなかった。

 被告は「障害者は不幸をつくることしかできない」「人の心を失った“心失者”は安楽死させるべき」などと身勝手な持説を繰り返す。

 「(被告はやまゆり園の職員時)入所者としっかりと向き合えていなかったのではないか。人となりを知れば、きっと楽しいと感じられたはず」。自身を振り返り、泉野さんは力を込める。口角が上がったり、目を合わせたり。日々接する障害者はさまざまな表情を見せ、思いを伝えてくれる。それがやりがいにもなっている。

 楜沢さんも言葉を重ねる。「思いをうまく表現できなくても、支援する側が表現方法を考えていけばいい。心は失われないのだから」

 2人は福祉の道のスタートに立ったばかり。長く続く道のりを、障害者とともに歩むつもりだ。

日々の業務を語り合う泉野さん(右)と楜沢さん =川崎市宮前区

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