端島小中同窓会長 石川東さん(70) 伝え 残す決意新た 古里に光 感慨深く

 古い写真をまとめた記録誌をめくると、炭鉱施設や高層アパート、学校など懐かしい風景が目に浮かぶ。どの場所も人の活気で満ちていた。「そんな古里が世界の宝になった。率直にうれしい」。長崎市の構成資産「端島炭坑」(軍艦島)にあった端島小中学校同窓会会長の石川東(あずま)さん(70)=同市香焼町=は、感慨深げに語った。
 父が炭鉱員で、島で生まれ育った。記憶にはないが、乳児期は日本初の鉄筋コンクリート造高層アパート「30号棟」で過ごしたと聞いた。
 中学時代は6畳と4畳半の二間に、両親と祖父、兄弟の8人が寄り添って生活。当時、島には約5300人が暮らし世界一の人口密度を誇った。住居は密集し、洗濯場や風呂場は共同。どこにいても人と人のつながりを感じた。
 夏には何度も台風が接近し、そのたびに護岸や建物が倒壊。それでも「犠牲者が出た覚えはない」。全島放送や島民同士の声の掛け合いで、皆が安全な場所に避難した。助け合う大切さをここで学んだ。
 長崎市の高校に進学し、卒業後は端島を所管する旧高島町役場に就職。時々は両親が残る島に帰った。だが、世界のエネルギーは石炭から石油に転換。1974年に端島は閉山した。両親は本土に移り、古里は立ち入り禁止の無人島となった。「島影は見えるのに帰れないなんて」。もどかしさが募った。
 近年、廃虚ブームで上陸クルーズが始まり、元島民が集まり帰郷する機会が増えた。2010年には各世代をまとめる同窓会も発足し、13年に会長となった。
 同窓会員は卒業生ら約2千人がいるが、高齢化が進む。「単に観光地化するのではなく、この島には温かい人間関係があったことを知ってもらいたい。同窓会が中心となって記録の保存を進めなければ」。世界遺産登録で決意を新たにしている。
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 「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決まった。新たな人類の宝が誕生した陰には、構成資産に関わってきた人々の思いがある。来年の登録を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と合わせ、世界遺産をめぐる群像を紹介する。

世界遺産登録が決まった端島での生活について語る石川会長=長崎市香焼町

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