小学校に入学した私を魅了してやまなかったもの―それは「鰻」だった。
リチャード・リンクレイター監督作品『6才のボクが、大人になるまで。』(2014年)のタイトルにかこつけてみたが、これは私についての本当のお話。

それはある土曜の昼下がり。
帽子を被り赤いランドセルを背負った小学1年生の私が、土曜の半ドンで家路についていた時のことだ。
校門を出ると、通学路の右側、道の向こうが見えなくなるほど、ものすごい勢いでもうもうと煙が吐き出されていた。
逆回しのフィルム効果のように、もうもうと白い煙の中へ体がふっと吸い寄せられたその時。
小鼻から鼻腔へ、そして脳へ、なんとも言えぬ衝撃がカラダ中に走り、嗅いだこともない香ばしい匂いに小鼻をツンとさせながら、赤いランドセルを背負ったままひとりぐるぐる旋回している私がいた。
おそらく、この上ない至福に満ち溢れんばかりの恍惚とした表情を浮かべながら。

白い煙の正体は「鰻」だった。
鰻屋の軒先で、生まれて初めて焼かれた鰻のその匂いに恍惚となっていた私。
小鼻をツンと上に向け、ランドセルに付けた鈴をチャリンチャリンと鳴らしながら、全身鰻の匂いまみれになりながら帰宅。
しばらく恍惚とくるくるまわりながら、帽子のゴム紐についた鰻のその香りをちゅうちゅう吸っていたほどだった。
以来、半ドンの土曜の昼下がり、その鰻屋の白い煙のもうもうの中をくぐって下校することが、私の秘かな愉しみとなったのであった。
そして、「うなぎ」と聞くと瞳は猫の目のように煌き、たとえそれが「夜のお菓子・うなぎパイ」であっても、食いついた。
やがて大人になって、その話を誰かにしたら「それは落語みたいだね」と笑われた。
「鰻の幇間」じゃないが、落語には鰻にまつわる話も結構ある。
鰻の焼ける香ばしい匂いを嗅いでいたら、鰻屋から匂いの代金を請求されたという話。ご存知だろうが、うなぎの匂いに対しての代金は現金じゃなく、現金で鳴らした“音”で払うというのがオチ。
だいたいあの鰻屋の佇まいも怪しかった。
土曜の昼時になると、まるでひとを誘惑するかのようにあの匂いを近所中に放ち、けたたましい換気扇の音に混じって、時折パタパタと忙しそうに仰ぐ団扇の音は聞こえても、焼いている人の姿は煙に巻かれて見当たらない。
よし! いつか大人になったらあの店で絶対にうなぎを食べるぞ!
そう誓った小学生時代。
やがて大人になった私は、生まれて初めて鰻というものを食した。
しかも別の店で。
麻布の「野田岩」という名店。
「白焼き」と呼ばれる鰻。
うな重の真ん中にも鰻が挟まっている「中入れ」というお重。
鰻が真ん中にも挟まっているというそのお重に衝撃を覚え、また小鼻をツンと上に向けながら(帽子のゴム紐こそちゅうちゅうしてはいないものの)、なぜか得意満面な顔で、六本木交差点まで闊歩していた。
それから「鰻」と聞けば、どこへでもスーイスイとついて行った。よく人さらいにあわなかったと思うくらい。
福岡の「鰻のせいろ蒸し」、名古屋の「ひつまぶし」、なぜか元阪神タイガースの掛布雅之さんと食べた浜名湖の「鰻の刺身」などなど。
最近では、香港の屋台にて「ポルト酒で蒸した鰻」を堪能したり。
中でも、スペイン・バルセロナで食べた「鰻の稚魚」には驚いた。
「アンゴラス」と呼ばれるそれは、スペインでもかなり高級品。
まさかそんなご馳走を食べられるとは思わなかった。
アヒージョになった稚魚の味とシャンパンは、最高のマリアージュ。
20年前、新婚旅行のイビザ島から立ち寄ったバルセロナ。
ホンダラホダラカホーイホイ気分の新郎が、美味しいシャンパンとともにご馳走してくれたのだ、ラッキー!
稚魚の缶詰もあると聞いて、早速缶詰屋に出向いてお土産用に何個か買ったが、土産にしては値が張るかも、と思った記憶が。
それもそのはず、近年スペインでは「鰻の稚魚」が不漁。
庶民の口に入るアンゴラスとして、モック(模造品)が出回っているというのだ。昨年、スペイン訪問した小説家・矢作俊彦氏からその存在を聞いて驚き早速調べたら、なんと確かにあるではないか!「うなぎの稚魚風アヒージョ」。
しかも力なく笑うしかないほど、これはトホホな代物だった。
まず、形状がいかにも怪しすぎる。
モックはなんと魚のすり身でできていた。
つまり、カニかまならぬ“ウナかま”なのだ。

よーく見ると、透き通ってみえる背骨のような薄い墨色の筋まである。
なんと、これはイカスミで描かれたものらしい。
食べてみると、思い切り唐辛子とニンニクオリーブオイルが効いた味わい。
それでも食感は明らかにすり身。
鰻の稚魚そのものの食感では断じてないのだが、つるんとしていて、子どもにはウケそうな食感だ。

それにしても、なぜ日本人はこうも鰻に群がるのだろう。
スペイン人だって、鰻の稚魚を高級品として敬い、普段はモック(模造品)を食しているというのに。バスク地方では祭りの前に食べるという風習があるそうだが、それすらもすり身のモックで代用しているという。

日本人が本物の鰻を食べ過ぎたため、モックの鰻の稚魚を食べることになったスペイン人。しかも、モックは日本人が考えた「すり身」の技術で作られるのだから、なんとも皮肉な話ではないか。
鰻の旬は冬だという。
冬眠する前に丸々と太るからだそうだ。
なのに、夏の「土用の丑の日」にやたらと鰻に人が群がる。
先日、「うなぎ会議」じゃないけれど、矢作氏と鰻の危機について話す機会があった。
すべての鰻(ニホンウナギ)は、同じニホンウナギの稚魚が成長したもの。
違いは育て方と料理の腕にある。
コンビニ弁当もスーパーのうなぎもちゃんと育てて、ちゃんとした料理の腕前がある料理人に割いて焼かれたら、例えば野田岩が調理すれば、ちゃんと「野田岩のうなぎ」になるのだ。
国産うなぎはこのニホンウナギの一種のみ。
中国産などはヨーロッパウナギや他種だったりする。
すり身で代用可能だというのなら、ファストフード店の鰻をすり身にして、スペインのアンゴラスはちゃんと稚魚でなければいけない。その国の食文化をちゃんと元通りにしてやるべきだ。
我々はうだるような熱い昼下がり、鰻について熱く語り合った。
私は先日、ある鰻屋にひとり出向いた時のことを思い出した。
「浅草の小さな老舗に行ったらさ、中国系の家族が肝焼きや白焼き、うな重の鰻まで食い散らかしてしかも残して帰っていったよ。なんだかもの悲しい気分になっちゃった。こうなったらさ、鰻をむざむざと扱ったりたらふく食べ過ぎた奴は、ウナギ刑に処されるというのはどう? うなぎがニョロニョロとそいつの目ん玉からツンツン啄ばんで食べちゃうの。うわあっ、共食い。まるでパニック映画の『ピラニア』みたい!」
ひとり盛り上がりっている私を前に、長い葉巻に火をつけ煙を吐きながら矢作氏が語り出す。
「まあ、それはともかく。とにかくみんな鰻をやたらに食い過ぎなんだよ。鰻というものは、ハレの食べ物。昔でいえば、課長さんがうちにおみえになったから鰻屋からうな重の出前をとりましょうとか、お父さんが鰻屋で接待だったからおみやげに折で持って帰ってきてくれたとかね、特別な時じゃないと庶民の口には入らないものだったわけだよ」

確かに。
6才の私が、大人になるまで、口に入ることなどなかった鰻。
鰻はハレの日のご褒美に食べるもの。
自分への励みとしておごるもの。
というわけで、とうとう6才からの積年の思いを遂げに、多摩丘陵に建つあの学舎の斜め向かいにある鰻屋へ。
店は、あの頃の小さなモルタル造りの店から想像も出来ないほど垢抜けた店構えに変わっていた。
香ばしい匂いを放つもうもうとした白い煙もない。
けれど、屋根に備えたダクトから微かに白い煙が吐き出ているのを発見。
微かに鰻の香りを漂わせる白い煙。私は、あの頃をなぞるように、校門前から同じ道を歩いてみたり、何度も行ったり来たりして記憶を反芻していた。
それにしてもこんなふうに、小学校の垣根を眺めながら、酒を片手に鰻が食べられる日がくるとは……。
幼い頃の匂いや香りの記憶は強烈に人生に刻まれる。
私は、鰻の匂いを嗅ぐと、それがトリガーとなって過去の記憶が呼び覚まされる。そして、鰻という未知なる食べ物にワクワクしていた小学校1年生の私に戻っていくのだ。
そして、未知なる食べ物にワクワクしていた当時の自分に戻ることができるのだ。
