『カトク』新庄耕著 死ぬほどがんばってはいけない

 労働は苦しみであると同時に、喜びでもある。人生そのものと同じように。苦労があるからこそ達成感が得られる。たやすくないからこそ面白い。誰かの役に立っているという実感があればなおのこと、どこまでもがんばってしまう。そして、足をすくわれる。

 新庄耕の「カトク」は、働くことの意味を考えさせる小説である。文庫書き下ろしの形で出版されたのは、今まさに読まれるべき作品だからだろう。

 過重労働撲滅特別対策班、通称カトク。厚生労働省が2015年、東京と大阪の労働局に設置した。量販店のドン・キホーテや旅行会社のエイチ・アイ・エス(HIS)、広告会社の電通などを摘発したことで、広く名前を知られるようになった。

 主人公は東京のカトクで働く労働基準監督官、城木忠司。友人と小さな会社を経営していたが、その時の仲間を過労自殺で失った過去がある。

 最初に出てくる「東西ハウジング」は創業40年。賃貸住宅の建設・販売・賃貸業では国内有数の企業だが、問題を抱えている。一つは強引な「サブリース契約」(一括借り上げ、転貸)。賃貸需要の見込めないような人里離れた土地の地主を説得して賃貸アパートを建てさせ、想定した収入が得られないオーナーがローンに苦しんでいる。

 もう一つの問題は従業員の過重労働だ。捜査を始めた城木は、営業マンの和夫に会う。明らかに働きすぎで、精神的にも参っているようにみえる和夫が「好きでやってるんで横からごちゃごちゃ言われるのは迷惑」「こっちは命がけでやってるんですよ」と言い放つ。

 しかし、和夫も実は疑問を持ち始めていた。そんな和夫に、城木が言う。「死ぬほど働くと、ひとは死ぬんです。死ぬほどがんばってはいけないんです」

 パワハラ体質の上司や経営側の事情にも、作家は筆を割いている。例えばIT系企業のシニアマネージャー、中村沙智はかつて、自身が営業で成果をあげられず、社内を転々とした。冷遇された日々があるからこそ不安があり、部下に厳しく当たる。

 過酷な労働を強いる側と、強いられる側は正反対のようだが、実は地続きだと感じた。相互にもたれ合っている場合さえある。そして、私もあなたも、双方につながっている。だから重い。だから切ない。

 死ぬほど大事な仕事なんてない。そんな当たり前のことを見失いがちな日本社会の病理が徐々に浮き上がる。「生産性」や「費用対効果」という言葉に踊らされないためにも、個を確立することの重要性が今ほど大事な時代はない。働くことの意味を、私たち自身の手に取り戻さなくてはならない。

(文春文庫 800円+税)=田村文

© 一般社団法人共同通信社