タイピント平和展 想像力働かせ 継承を

 長崎市かき道2丁目の被爆2世、出口順二さん(54)は、長崎原爆を題材にした油彩画「きのこ雲の下で」(縦90センチ、横45センチ)を制作し、同市樺島町のタイピント画廊で開催中の「タイピント平和展14th」に出品している。「原爆の後遺症に苦しみながら語り部として奮闘した父の遺志を受け継ぎたい。想像力を膨らませて描いた」と話す。
 父の輝夫さん(2011年に75歳で死去)は9歳の時、爆心地から1・4キロの本原町1丁目(現・扇町)で被爆、頭に大けがを負い、体中にガラス片が突き刺さった。福岡や東京などで会社員として勤め上げ、帰郷後の1997年、長崎平和推進協会継承部会に入会。98年、第1回高校生平和大使に同行し、米ニューヨークの国連本部を訪問、現地で被爆体験を語った。2008年には「平和塾」を開講し後継者育成にも尽力。晩年は肺気腫、皮膚がん、前立腺がんを患った。
 次男の順二さんは福岡生まれ。九州産業大美術科洋画コース卒業後、東京で空間デザインの仕事などに携わった。10年ほど前、輝夫さんは一度だけ被爆遺構を案内してくれた。その時のことが脳裏に焼きついている。輝夫さんはゼーゼーと呼吸を乱しカフェで休憩を取ったが、「時間がない。急ごう」とすぐ立ち上がった。原爆を伝えようというすさまじい情熱と執念を感じた。「いつか、被爆継承のバトンを持ってほしいと思っていたのかもしれない」。亡くなる2日前、輝夫さんの妹山川富佐子さんの「語り部を継ぐけん」という言葉に涙を流して喜んだという。
 順二さんは2015年、母と同居するため長崎に移住。輝夫さんが原爆を正確に語り継ぐため物理や化学の専門書から学んで自費出版した「知っているようで知らない原爆の話」(05年)、「きのこ雲との闘い」(10年)を読み返した。「核兵器を持っていれば、いつかまた使われ、罪もない市民が犠牲になる」。そんな思いを強くした。
 不思議な縁もあった。タイピント画廊のオーナー山口晃さん(84)も被爆者で、原爆の1カ月後に亡くなった輝夫さんの兄聰夫(としお)さんと友人だった。
 順二さんの油彩画「きのこ雲の下で」は、まだあどけない輝夫さんや聰夫さんらきょうだい5人と、背後に長崎原爆のきのこ雲を描いた。直後に熱線やガラス片が5人を襲う光景や、後遺症と闘う父の姿を思い浮かべながら描いたという。
 「被爆者が高齢化する中、体験していない私たちが実相を学び、想像力を働かせながら被爆体験を継承していかなければならない。父も応援してくれていた美術活動なら何か伝えられるかも」と順二さん。
 「-平和展」は10日まで。被爆2世と3世、被爆者ら17人のアーティストの平和への願いを込めた力作約30点が並ぶ。

油彩画「きのこ雲の下で」と、制作した出口順二さん=長崎市、タイピント画廊

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