もっと暑かったんだよな

 8月9日のことを短編小説に書いている。同じ女学校に通った同級生2人はともに被爆者で、長崎の平和祈念式典にそろって参列した。終わったら喉が渇いていた。作中の語り手の「私」が、水を飲まない?と同級生に聞くが、断られる▲昨年亡くなった、被爆者で作家の林京子さんの小説「無明」にこんな場面がある。同級生はあの日、水が欲しくて苦しんだ。それを忘れないように、毎年8月9日は正午を過ぎるまで水を取らないの、と▲林さん自身を重ねたらしい「私」の方は、原爆の熱風、炎の熱さを体が鮮烈に覚えている。原爆の苦しみは人それぞれで、だからこそ一人でも多くの体験を知らねばと、林さんは言おうとしたのだろう▲酷暑の折、水を控えたりはしないまでも、あの日の自分が、家族が、友人が、誰かが、水をちょうだいと訴えたのが思い出される人は数知れまい。「原爆の日」が巡りきた▲小説にはこんな場面もある。別の年の平和祈念式典に出た「私」の背後で若い人の声がした。暑いなあ、と言い、もっと暑かったんだよなあ、と言った。あの時の暑さ、熱さを少しでも分かろうとして▲被爆者の記憶がよみがえる日は、原爆を直接知らない世代が「もっと暑かったんだよなあ」と思いを巡らす日でもある。記憶を語り継ぐと誓う日でもある。(徹)

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