「お父ちゃんは憲兵隊」 情報伝わり家族と再会 級友や恩師の被爆体験記

 長崎大付属中(長崎市文教町)第8回卒業生の有志は7月、同級生や恩師の被爆体験記を300部製作した。発案した川上正徳さん(75)は「この文集を原爆や核兵器をなくしたいという動機の一つにしてほしい」と語る。
 川上さんによると、体験記はもともと被爆50年の際に作ろうとしたが、思うように数が集まらず断念。卒業60周年記念誌を作るのに合わせ、被爆体験も再度募り、体験記にまとめた。
 同卒業生は原爆当時、2、3歳。かすかな記憶とともに家族から聞いた当時の状況のほか、同中で教員から伝えられた体験への感想なども含めて9人がつづった。恩師が書いた手記や原爆に関する詩など6編も収録している。
 記憶についてこんな記述がある。「幼い頃の記憶は二つ、何故か覚えている。一つは疎開先(長与の農家の離れを借りていた)から見下ろした田園風景の中で、停車していた汽車の煙突の煙がたなびかず、真っすぐ上がっていたこと。もう一つはその農家の母屋に、腹に包帯らしいものをした人がいて。抱きかかえてもらったこと」。成長してから家族に話すと「それは原爆が落ちた日のことではないか」と言われたという。
 家族から知らされたとみられる内容もある。男性は家野町(当時)で被爆し、行方が分からなくなって家族からは亡くなったものだと思われていた。「長与に『お父ちゃんは憲兵隊』とだけしゃべれる子がいる」という情報が父親に伝わって、家族と再会を果たすことができた。
 体験記はA4判35ページ。非売品。川上さんらは8月6日、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪ねて寄贈したほか、同中や市教委など公的機関に計80冊贈った。
 以前、姉から聞いた体験を文章に残すよう恩師に言われていたという川上さん。元市役所職員で市の被爆50年事業を担当した経験があり「これでやっと被爆50年の事業がフィナーレを迎えた気持ち。皆さんのおかげ」と晴れやかな表情を見せた。

被爆体験記をつくった長崎大付属中第8回卒業生の有志=長崎市平野町、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
第8回卒業生が記憶とともに家族から聞いた話、恩師の手記などを収録した被爆体験記

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