引き揚げ船コレラ禍の悲劇伝え 横須賀・浦賀でパネル展

 太平洋戦争後、横須賀・浦賀港に続々と上陸した引き揚げ者を取り上げたパネル展が19日まで、浦賀コミュニティセンター(横須賀市浦賀)で開かれている。栄養失調で痩せ細った復員兵や、船内でコレラがまん延して故郷を目の前にして命を落とした感染者ら、戦後の悲劇を200点ほどの写真や資料で伝えている。

 浦賀港は戦後、外地からの引き揚げ者を受け入れる「引揚指定港」になった。

 1945年10月、第1船として氷川丸が入港。以降、南方地域や中国大陸などから約56万人を受け入れた。その数は全国で4番目に多いという。

 翌46年、華南方面からの船内でコレラが発生。その後も、感染者を乗せた船が続々と入港した。そのため、設置された検疫所に上陸させ、かつてない水際対策が展開された。コレラによる死者数は不明という。

 パネル展では、あふれるほどに乗船した復員兵が手を振って帰国を喜んだり、大勢の引き揚げ者が駅のホームに列を作ったりする姿を捉えた写真を展示。「(復員兵は)はだしでやせ衰え、力ない足取りで上陸してきたとき、これが歓呼の声で送られた兵隊さんかと涙が出た」など、出迎えた住民の証言も添えた。

 また痩せて骨と皮だけのようになったコレラ患者や船上で行われた予防接種、検疫所職員の体験談など、引き揚げ時に起きた悲劇を写真や資料で紹介している。

 パネル展は、地元の町内会や観光協会などでつくる「浦賀・鴨居地域運営協議会」の主催。浦賀の地域史を研究する市民グループ「中島三郎助と遊ぶ会」が、毎年8月開催のパネル展の規模を拡大するため、協議会に持ち掛けた。遊ぶ会の大内透会長は「引き揚げ船の史実を知り、『戦争は二度としてはいけない』との思いを新たにしてほしい」と願っている。

浦賀港に上陸した引き揚げ者の姿を伝えるパネル展=浦賀コミュニティセンター

© 株式会社神奈川新聞社