不戦、受け継ぎたい 全国戦没者追悼式に神奈川の遺族374人

 東京・日本武道館で15日開かれた全国戦没者追悼式には、神奈川県内から5~92歳の374人が参列した。今を生きることができる感謝と次代へ伝える不戦の誓い。平成最後の夏、遺族は思いを新たに式に臨んだ。

 「平和という大きなプレゼントをありがとう」。県の遺族代表を務めた相模原市中央区の清水琢雄さん(85)は、父清蔵さんへの感謝を胸に献花した。出征先のフィリピンで42歳で戦死。終戦後に届いた通知によると、野戦の際に頭部を被弾して、即死だった。

 敗戦の混乱の中で、その意味はすぐに理解できなかったが、母子家庭で生活は苦しくなり、就職でも苦労を味わう。「母は頑張ってくれたが、『お父さんがいてくれたら』と思ったことは何度もある」。

 今年は在位中最後の参列となった天皇陛下にも、万感の思いが込み上げた。同じ1933(昭和8)年生まれの一人として、「本当によく頑張ってきてくださった。お疲れさまでした」としみじみと語った。

 平成の先を担う世代に思いを伝えたのは、相模原市緑区の秦範子さん(75)。孫の関根正謹(まさちか)君(11)はこの日、献花者の補助役として初めて参列した。

 父・甚太郎さんは、秦さんが1歳半のときに出征。1年後にフィリピンで帰らぬ人となった。手元にセピア色の写真が数枚残るのみで記憶の中にはないが、体が丈夫だったといい、「無事だったら、正謹の顔も見られたはず」。父の無念を思うと、涙が浮かぶ。

 「背が高くて、勇敢だった」。甚太郎さんのことをこう教わったという正謹君は「必ず誰かが傷つき、死んでしまう戦争はいけない」。自分なりに、不戦の意味を学んでいる。

 ただ、秦さんには時代が流れる中で気がかりがある。遺族会は会員が減り、継承の難しさを感じている。世界を見渡せば、今も争いは絶えない。

 「口だけで伝えるのは難しい。戦争によってこんなに悲しむ人が大勢いることを、こういう機会に知ってほしい」

 約5200人の遺族で埋まった会場で大役を果たした正謹君を、ぎゅっと抱きしめた。

■「戦争の記憶伝える責務」 横浜で県戦没者追悼式

 県戦没者追悼式が15日、横浜市港南区の県戦没者慰霊堂で行われた。遺族や黒岩祐治知事ら約120人が県内の戦没者約5万8千人の冥福を祈り、平和への決意を新たにした。県遺族会の主催。

 追悼式では、陸軍伍長だった父親がフィリピンのルソン島に出征したまま帰らぬ人となった田邊冨士雄会長(77)が、「次の世代に記憶を継承していく責務を果たし、平和の実現に向けて努力したい」と誓い、黒岩知事は「戦争の悲惨さと平和の尊さを未来を担う世代にしっかりと伝え、心豊かで平和な社会を実現していくことが私たちの使命」と述べた。

 県遺族会の会員数は約1万1千人。2005年時点の約2万1千人から半減し、平均年齢は78歳と高齢化が進む。このため、本年度中に孫やひ孫の世代を対象とした「青年部」の立ち上げを計画。田邊会長は「戦争をもう二度と起こさせないためにも、後世に語り継ぐという役割を果たす遺族会の世代交代を図りたい」と話した。

県の遺族代表として式に出席した清水さん=日本武道館

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