【特集】歴史・時代小説を育むもの 作家・葉室麟さんの世界

作家葉室麟さん(左)と映画「蜩ノ記」で主演した役所広司さん(右)

 作家葉室麟さんが亡くなったのは昨年12月23日だった。享年66歳。地方紙記者を経て54歳で作家デビュー、直木賞を受賞した「蜩ノ記」(ひぐらしのき)はじめ、自らの信念で凜とした生き方を貫いた武士たちを描くことが多かった。藤沢周平さんが架空の「海坂藩」を何度も小説に登場させて山形、東北の地を作品の舞台にしたように、葉室さんは架空の「羽根藩」で大分、九州の地を題材に扱った。遅咲きながら12年間で膨大な歴史・時代小説を書き続け、葉室ファンの筆者もまだ全作品を読み終えていない。葉室さんが描こうとした小説の世界、映画化された作品について取り上げたい。(共同通信=柴田友明)

 作品の中に作家の人生

 「人間の生き方や、美しさといったものを、時代の枠を超えて表現できる」。2012年に直木賞を受賞した際、共同通信のインタビューに葉室さんは時代小説についてこう語っている。評伝「藤沢周平伝」(笹沢信さん著)の書評記事(共同通信配信)で、自身が敬愛する藤沢さんについて「山形県に生まれ教職についたが、肺結核のため療養生活に入って、教師の道を断念し、その後、上京して業界紙の記者になった。不慣れな仕事で懸命に努力し、若くして妻を失うという悲運にあい、人生の苦汁をなめつつも、やがて小説家として花開いていく」「やや陰影を帯びつつも、生真面目でひとに恥じぬ道を歩む作家の後ろ姿は藤沢作品の主人公を思わせる」などと書いている。

 作品の中に作家の人生がこめられているとする葉室さんが、藤沢さんの作風を語る文章を読むと、葉室さん自身もそういう気持ちで作品を仕上げてきたのだろうと思える。

 清廉と凄惨

 代表作「蜩ノ記」は映画化され4年前に上映された。架空の「羽根藩」が舞台で、幽閉され家譜編纂(藩の歴史編修)と〝10年後の切腹〟を命じられた主人公を役所広司さんが演じた。見張り役ながら、その清廉さに心打たれる若き藩士を岡田准一さんが務めた。命を区切られた人物の凄惨な覚悟、山あいの静かな田園風景の中で繰り広げられる人間ドラマを、名優たちが演じきった。

 藩にとって都合の悪い事実を書き残そうとする主人公が、書くなと迫る家老に「生きた事実を伝え、うそ偽りのない歴史を書き残すことができれば、それこそが武家のかがみ。御家は必ず守られると信じております」と切り返す。

 少し前に、財務省、防衛省など公文書の改ざんや隠ぺいで世が揺れたことを考えれば、映画での役所さんらのセリフはなかなか考えさせられるやりとりだ。

葉室麟さん原作、映画「散り椿」に出演する黒木華さん

 小説に話を戻せば、「蜩ノ記」の後に続く作品に武将立花宗茂の生涯を描いた「無双の花」、豊後日田の儒学者広瀬淡窓と咸宜園を題材にした「霖雨」も筆者にとって名作だと思える。平安時代に大陸から女真族が九州に来襲した事件をモデルにした「刀伊入寇 藤原隆家の闘い」も斬新だ。藤原道長全盛の平安時代、古典・枕草子でも描かれている貴族の藤原隆家が武将として活躍、当時の東アジアの構図も分かる読み物として面白い。「羽根藩」以外にも「秋月藩」「黒島藩」「扇野藩」といった架空の藩の物語も知られている。9月28日に全国公開される映画「散り椿」は葉室さん原作で、その扇野藩が舞台となる。岡田准一さんが主役で、黒木華さんらが出演する。

 醸成された作風

 今も読み継がれている葉室さんの作品の魅力は何なのだろうか。葉室さんの個人史に目を通せば、学生時代に筑豊炭鉱の記録作家、上野英信さんを訪ね、その謦咳に接したことが貴重な経験になったと自身で語っている。「古武士のような清廉な印象だった」。そして、藤沢周平さんの作品からの影響、新聞記者時代に培われた観察力、暮らしてきた九州の風土、そういったものが混然一体となり、人の心を打つ「葉室文学」が醸し出されてきたのではないだろうか。

 「栄冠はそっと引き出しに」。12年の直木賞受賞後に共同通信配信記事として葉室さんが寄稿したエッセーはこんな見出しだった。母方の先祖が佐賀藩士で、明治初期の「佐賀の乱」で反乱側にも政府側にもつかなかったことから、双方から袋だたきにあって貧乏くじを引いたという話を引き合いに、自身の先祖らしいという話を書いている。「そんな生き方が嫌いではない」「光り輝く場所が自分には似つかわしくないと思ってしまう」。作風に結びつくような謙虚な感想だ。その後、わずか5年余りで作家生活を駆け抜けたことを考えれば、「求道者」の言葉のようにも思える。

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