長崎市中心部を流れる中島川。そのほとり近くに黒しっくい塗りの江崎べっ甲店(長崎市魚の町)がある。1709年創業の老舗で、現在の店舗は1898年に建設された。和風の外観だが、壁のところどころに施された白い隅石の装飾や、上げ下げ窓が洋風の趣を漂わせている。
店内は丸柱が並ぶ洋風の造り。だが壁の向こうには座敷があり、長崎くんちの本番前に踊町が衣装や道具などを披露する「庭見せ」の際に、一般開放されている。その和洋折衷の造りが評価され、1998年に国の登録有形文化財の指定を受けた。
べっ甲細工の材料はウミガメの一種であるタイマイの甲羅で、鎖国時代に唯一の海外との交易の窓口だった長崎にもたらされた。開国後は多くの外国人が同店を訪れ、べっ甲細工を買い求めたという。日本語と英語、ロシア語の表記が並ぶ看板がその歴史を物語っている。
帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ2世もべっ甲に魅了された一人。皇太子だった1891年に訪問。ロシア語で「親愛なる江崎よ!」と記された署名入りの写真が、今でも店内に残っている。ニコライ2世はその後に向かった大津市で、警備の巡査に切りつけられて負傷(大津事件)。5代目栄造(1843~1912年)がカステラを持ってお見舞いに行ったという。
同店では、長崎のべっ甲の魅力を世界に広めようと、数々の美術作品を製作。うろこの一枚一枚までを忠実に再現した「鯉(こい)の置物」が、1937年にパリで開かれた万国博覧会でグランプリを受賞した。作品は現在も店内に展示され、変わらぬ輝きを放っている。店内後方には、ガラス一枚を隔てて工房があり、職人の作業の様子を見学できる。
建物は長崎原爆で屋根瓦の一部が吹き飛んだが、大きな被害はなく、往時の姿を保ち続けている。9代目となる江崎淑夫(よしお)社長(76)は「この建物の中で、べっ甲細工の技術を先祖代々守り続けてきた。建物に手を加えたほうが勝手は良いのかもしれないが、これからも現状を維持したい」と語る。
長崎のまちの歩みを静かに見守り続けてきた江崎べっ甲店。今日も訪れた多くの観光客らに、その歴史を伝えている。
◎ちょっと寄り道/中島川石橋群/度重なる洪水 乗り越え
江崎べっ甲店のそばを流れる中島川には、国指定の重要文化財で、日本最古のアーチ形石橋として有名な「眼鏡橋」(1634年架橋)が架かる。このほかにも、長崎大水害(1982年)で流されなかった四つの石橋が、長崎市の指定有形文化財となっている。
眼鏡橋の隣にある「袋橋」。多くの観光客でにぎわうのは、眼鏡橋の撮影スポットとしてだが、眼鏡橋の次に古いといわれる歴史ある橋。完成した年は、はっきりとしていないが、アーチ橋の形態をよく残しているとして、高く評価されている。上流に位置する「桃渓(ももたに)橋」は1679年に、僧卜意(ぼくい)が寄付を募って架橋した歴史を持つ。
度重なる洪水を乗り越え、市民の生活を支えてきた石橋群。その歴史に思いをはせるのも楽しみ方の一つだ。
■アクセス
JR長崎駅からは、路面電車「蛍茶屋」行きに乗り「市民会館」電停で下車し、徒歩2分。営業時間は午前9時~午後5時。年中無休。電話095・821・0328。