【平成の長崎】“難民”103人 長崎港へ 五島・玉之浦沖の漂着船 半数は中国人か 平成元(1989)年

 8月29日午後、五島玉之浦町大瀬崎灯台で見つかった難民船は30日未明、長崎海上保安部の巡視船に守られ、自力で長崎港に入った。同日午後、福岡入国管理局長崎港出張所による入国審査が難民の一部で始められたが、不法入国の中国人が紛れている可能性が強いとみて厳しいチェックを夜遅くまで行った。
 長崎海上保安部や同出張所のこれまでの調べに対し、難民船に乗っていた103人は8月6日、ベトナム北部のミヤモンを船で出港、途中、中国南部のモンカイに上陸し徒歩や汽車で福建省福州に着き船を調達。23日に福州を出港し、29日に五島近海に到着したと述べている。全員、比較的元気で病人などはいなかった。
 62人は広東語などを話しているところから中国人とみられ、ベトナム人の審査が終わり次第、事情聴取を受ける予定。
 多数の難民の到着で大村難民一時レセプションセンターなど受け入れ施設が満杯のため入国審査を受けた後も船に戻すことにしている。(平成元年8月31日付長崎新聞より)

長崎港に入港した難民船
入国審査を待つ難民船の一行=長崎港松が枝岸壁

© 株式会社長崎新聞社