湖上に浮かぶ仏堂
満月寺「浮御堂」
琵琶湖を代表する湖西・堅田の景勝地、浮御堂(満月寺)。平安時代、比叡山天台宗の僧侶、恵心僧都源信が琵琶湖の湖上安全と衆生済度を祈願して建立、千体もの阿弥陀仏を奉安したと伝えられています。
以後、堅田は歴史の狭間で幾多の戦火や天災に見舞われ、浮御堂も荒廃と復興を繰り返します。現在の姿は、昭和9年の台風で倒壊した後、3年後に再建されたもの。御本尊・阿弥陀如来は、千年以上の歳月を経て今なお琵琶湖を見守り、変わりゆく対岸の近江を見つめています。
湖族、繁栄のあとさき
東西の岸を結ぶ水都として発展した堅田。中世には湖上の関務権、漁業権、上乗券などの特権を独占した堅田湖族・堅田衆と呼ばれた豪族が、近江最大の自治都市を築き、絶大な権勢をふるっていました。
堅田三豪族(居初・刀祢・小月)の一つ、居初氏の屋敷と庭園が第29代当主・居初寅夫さんによって守られています。堅田の歴史・文化については「湖族の郷資料館」でも詳しく知ることができ、周辺には一休宗純の祥瑞寺、老舗和菓子店など徒歩でも巡れる観光名所が点在しています。
堅田の内湖で「琵琶湖真珠」養殖
琵琶湖の真珠養殖は昭和5年に始まり、最盛期は昭和55年ごろ。約30軒ほどの養殖業者が海外への輸出も行っていました。
やがて水質環境の変化などで母貝(イケチョウガイ)が減少、さらに中国の安価な淡水真珠が出回り生産数が激減。現在も養殖を続けるのは田村真珠ただ一軒のみ。母貝を供給していた組合が廃業したため、二代目の田村学さんは母貝を孵化させることから手掛けています。
「衰退した真珠養殖を再建するまで10年かかった。何とか後世に残していきたい」
と学さん。
ピンクやゴールドの淡い輝きを放つ琵琶湖真珠は、県外へ嫁ぐ娘に贈る品としても人気があるのだとか。