少年の勇気から始まったモンゴル野球 日本と横綱の支援で進む野球普及の道

首都ウランバートルにある「モンゴル国立野球場」【写真提供:野球のまち推進課】

始まりはモンゴル人少年から日本人に手渡された一通の手紙

「モンゴルが強いスポーツといえば?」

と質問をすれば、大多数の人間が“相撲”と答えるだろう。事実、日本の相撲界は様々なモンゴル人力士の存在なくして語れないほど、多大な影響を及ぼしている。

では、野球はどうか。あの大横綱の手によって、今、モンゴル野球は改革の真っ只中にある。

 モンゴルが社会主義国から民主主義国へ移行する1991年頃。日本モンゴル文化交流協会が、国際交流を目的にモンゴルを訪れた。様々な会合が続く中、1人のモンゴル人少年が協会長秘書のズボンのポケットにそっと手紙を忍ばせた。

「モンゴルで野球がしたいけれど、道具がない」

 少年の行動を知った徳島・那賀川町(現阿南市)体育協会は日本中に支援を求め、4トントラックいっぱいに野球道具を集めてモンゴルに贈呈した。それを機に、技術者の派遣、モンゴル少年の那賀川町ホームステイなど、国境を超えた交流が始まった。

 現存するモンゴル唯一の野球場、首都ウランバートルにある「モンゴル国立野球場」は、日本全国からの浄財1300万円により建設された。

 2013年、日本野球機構(NPB)は、モンゴルに野球が根付くまで野球を教えた日本人青年の奮闘記である「モンゴル野球青春記 バクシャー」を推薦映画としてホームページ上で紹介した。この映画は、モンゴルと日本の徳島県を主なロケ地とし、ロケには大勢の市民ボランティアが参加するなど、街をあげての撮影となった。野球の国・アメリカでは、LAスポーツ映画祭グランプリを受賞するなど、高い評価を得ている。

着実に進む野球普及、白鵬も現役引退後の尽力を宣言

 同時期に、日本相撲界で活躍する横綱白鵬も、母国の野球支援に立ち上がった。幼い頃より衛星放送で日本の大相撲を観戦していた白鵬は、野球の存在も気になっており興味を持ったという。

 それまでモンゴルでは一般の野球チームは1つしか存在せず、少年野球も5チーム程度。しかし、白鵬は日本で味わった野球の魅力を母国モンゴルでも存分に味わってほしいと考え、2013年に日本側と共同で、ウランバートルのモンゴル国立野球場で野球教室を開催した。白鵬は実際に左打席に立ち、その大きな体に相応しいフルスイングから特大のホームランを放つなど、1球で仕留めるスター性はもちろん、野球の実力でも相当のものを見せた。また、野球教室のみならず、大量の野球道具をモンゴルに寄付している。

 現在、白鵬はモンゴル野球協会会長を務めている。モンゴルでも、野球が日本のようメジャースポーツになることを願っており、相撲界引退後はモンゴルの国際大会参加、日本チームからの勝利を夢見て、モンゴル野球界に尽力することを高らかに宣言している。

 2017年には、竹部貴博氏らが「モンゴル野球普及プロジェクト」と題し、大手クラウドファンディングサイト「Ready for」にて資金を調達し、現地で70名の子供たちへ道具を贈ったり、野球教室を開催するなど、支援活動が行われている。

 また、2018年にモンゴル文化大使館に任命された河内志郎氏(三木資源会長)は、民間企業としての支援に加え、私財を投じて、野球大会の開催や指導者の派遣、寄付などの支援をし続けている。

 1人の少年の勇気が数多くの日本人を動かし、着実に動き出しているモンゴル野球。白鵬関の引退後、これまでの支援を礎に、一気に動き出す可能性も予想される。広大な草原で白球を追いかけ野球を楽しむ少年が増えることを、これからも期待したい。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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