落語を突き詰めた歌丸さん 笑点では見られない顔も

桂歌丸さん(2007年撮影)

 小学生の頃、人気番組「笑点」の面白さに目覚めて親に寄席に連れて行ってもらい、そのまま落語・演芸ファンとなった者にとって、桂歌丸さんの訃報は子ども時分の記憶が色あせてしまうようで悲しい…。と書ければ話は早いのだが、そうはできないわけがある。

 寄席に行く楽しみの一つは笑点メンバーを生で見られることだったが、それは「チャラーン」の林家こん平さん、「いやん、ばかん」の林家木久蔵(現木久扇)さんといった、分かりやすい面白キャラの落語家さん。うまい答えを繰り出す歌丸さんはちょっと違った。「クイズダービー」で「宇宙人」と呼ばれた漫画家のはらたいらさんのように、良い回答をして当たり前、という特別で、少し遠い感じのする存在だった。

 落語の取材を始めた2007年、歌丸さんは落語芸術協会の会長で、大御所のオーラたっぷり。落語家としては…、うまいというイメージは変わらず。三遊亭円朝の「牡丹灯籠」「真景累ケ淵」といった大ネタの演じ手。バカバカしい、ちょっと抜けた面白さとは結びつかなかった。

 ただ、機会は少なかったが直接取材をすると、本当に落語が好きなんだな、この芸の魅力を伝えたいんだなと、実感することが度々だった。

 例えば、「真景累ケ淵」の中で他の落語家もよく演じる「豊志賀の死」について話を聞いたときのこと。舞台は江戸時代。「あんぽつ」という上等な駕籠の名前が大事な場面で出てくる。演者としては(1)その場面へ来たら、さりげなく意味を説明する(2)話に入る前の「マクラ」などで、さりげなく説明しておく、という手当てが必要だ。(1)を選ぶ人も多いと思うが、歌丸さんは明確な意図を持って(2)だった。

 その心は「作品の味わいをそのまま感じてほしい」から。話の流れを切るように途中で説明を差し挟むのは無粋というもの―。そこまで突き詰めるのか、と感じ入ったのをよく覚えている。

 また、最後の弟子の三代目桂枝太郎さんが、真打ち昇進する際の記者会見でのこと。先代枝太郎は新作落語の大看板。その名跡を継がせるのだから、さぞ特別な思い入れがあるはずだと、会見終了後、歌丸さんにじかに聞いてみた。すると「新作落語をこしらえるセンスにいいものがあるんですよ」。高座と同様、明晰な口調で即答だった。

 弟子を思う優しいまなざし、さらに「こいつならやってくれる」という落語の将来を見据えた客観的な視線。どちらもひしひしと感じた、短くも印象深い一言だった。

 歌丸さんが亡くなった後、二番弟子の桂歌助さんの著作「師匠歌丸」が世に出た。タイトル通り、師匠としての歌丸さんの姿が浮かんでくる。「女性を演じるのがうまい」という歌助さんの落語家・歌丸評を読んで、そういえば「豊志賀」は情念の深さがすさまじく描かれていたけれど、ちょっとした指のしぐさが艶っぽかったな、なんてことを思い出した。

 8月下旬の独演会の後、歌助さんは歌丸さんの遺志を継いで、円朝の大作「塩原多助一代記」を手掛けると明かした。枝太郎さんは東日本大震災の実話をモチーフにした、心に訴える落語をつくり、古典落語にも師匠が認めたセンスを生かして新風を吹き込んでいる。

 うまい、面白いだけでは言い尽くせない、歌丸さんはすてきな落語家だったと、今にして思う。(八木良憲・共同通信記者)

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