【平成の長崎】キバむく巨大な熱塊 爆発的噴出の可能性 平成3(1991)年

 雲仙・普賢岳(1359メートル)で1991年6月3日午後4時すぎ、地獄跡火口東側斜面からこれまでで最大規模の火砕流が連続発生、黒煙を噴き上げ島原市水無川流域の民家などを一気にのみ込んだ。水無川流域で警戒に当たっていた市消防団員や警察官、報道陣などが火砕流に巻き込まれ、1人が死亡、30人が行方不明、全身大やけどで意識不明の重体も含め20人が重軽傷を負った。付近一帯で民家火災も発生した。1991年5月24日に火砕流が発生して以来、死者が出たのは初めて。寛政4年(1792年)島原大変以来の大惨事となった。

◎キバむく巨大な熱塊 爆発的噴出の可能性
 雲仙・普賢岳の火砕流は、溶岩が崩れて斜面を転がり落ちるうちに細かく砕け、中から高温の火山性ガスが噴出して発生する、との説が有力だった。しかし今回の火砕流は、ふもとの深江町に設置された九州大島原地震火山観測所の低周波マイクロホンが、これまで観測されていなかったほどの強い空気振動を記録していることなどから、火口で爆発的な噴出が起きた可能性もある。
(平成3年6月4日付長崎新聞より)
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 【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

民家に襲いかかる巨大な黒煙。島原市内は騒然=1991年6月3日午後4時15分、島原市北上木場町=
猛煙に追われ「火の粉だ!逃げろ」と叫び、バイクで駆け抜ける住民=1991年6月3日午後4時15分ごろ、島原市白谷町=

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