ゲンバクと呼ばれた少年

 被爆したのは爆心地から1・2キロの距離にあった長崎市浦上町(当時)。2歳10カ月だった。頭と足に大けがを負い、放射線の影響か髪の毛は抜けてしまった▲長崎市大浦町に引っ越し、小学校に通い始める。ハゲというあだ名が付いた。頭の傷の部分を残して髪が生えてくると、あだ名はカッパに変わった▲5年生になって髪の毛が生えそろったとき、先生がみんなの前でこう言った。「きょうからカッパは新しい名前になりそうですよ。ゲンバクです」。教室のみんなが「ゲンバク、ゲンバク」とはやし立てた▲長崎市の中村由一(よしかず)さん(75)が近著「ゲンバクとよばれた少年」で明かすエピソードは残酷だ。先生がいじめを主導したことはもちろん、原爆で傷ついたことが同じ長崎でいじめの原因になるなんて▲浦上町も大浦町も被爆地域だ。だが、大浦町は爆心地からやや離れており、浦上町ほどの被害はなかった。大きな不幸を免れた側が悲惨な状況に陥った側をさげすむ感覚があったと中村さんはいう▲中村さんは後に、浦上町が被差別部落だったことを知り、それもまたいじめられた理由だったと思った。今は被爆と部落差別に苦しんだ経験を語る活動をしている。「いじめや差別をなくそう」。過酷な少年時代を過ごした中村さんのメッセージは、ずしりと重い。(泉)

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